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身につけよう! 江戸しぐさ』

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No.0297

 

 日本人の礼儀正しさが見直されています。それは、日本人の「こころ」の中に流れている譲り合いの精神というDNAです。そして、その「こころ」は「しぐさ」として形になります。

 

 『身につけよう! 江戸しぐさ』越川禮子著(KKロングセラーズ)を再読しました。


 著者は言うまでもなく、思いやりの作法として知られる「江戸しぐさ」の第一人者です。


 著者には、江戸しぐさに関する多くの著作があります。


 その中でも、本書は「基本テキスト」と呼べる一冊です。


 東日本大震災の発生以来、テレビでは一般企業のCMが消えました。


 代わりに流れているのが、AC(公共広告機構)のメッセージ広告です。


 その中に、「『こころ』は誰にも見えないけれど、『こころづかい』は見える」、「『思い』は見えないけれど、『思いやり』は誰にでも見える」といったものがあります。


 その目に見える「こころづかい」や「思いやり」こそ、江戸しぐさなのです。


 首都である東京が混乱している今、江戸しぐさの精神が必要です。 


 江戸しぐさは、数年前からすでにメジャーな存在となっています。


 東京の地下鉄の各駅にポスターが貼りめぐらされ、小中学校の道徳教育にも取り入れられました。東京ディズニーリゾートのサービス・マニュアルにも採用されました


 ホスピタリティにおけるグローバルスタンダードといえるかもしれません。


 江戸しぐさとは、いったい何か。それは、江戸の商人を中心とした町人たちの間で花開いた「思いやり」の形です。


 出会う人すべてを「仏の化身」と考えていた江戸の人々は、失礼のないしぐさを身につけていました。譲り合いの心を大切にし、自分は一歩引いて相手を立てる。威張りもしなければ、こびることもしない。あくまでも対等な人間同士として、ごく自然に実践していたものが江戸しぐさなのです。


 しぐさとは、ふつうは「仕草」と書きますが、江戸しぐさの場合は「思草」と書きます。


 「思」は、思いやり。「草」は草花ではなく、行為、行動を意味します。つまり、その人の思いやりがそのまま行ないになったものなのです。


 わが社の佐久間進会長は、自ら小笠原流礼法の普及に尽力していますが、以前から江戸しぐさに注目していました。そのため、この道の第一人者である著者をお招きして、教えていただいたこともあります。


 もともと、わが社は会長の教育方針により、小笠原流を会社ぐるみで学んでいました。


 小笠原流は武家の礼法ですが、江戸しぐさは商家の作法。武士と商人の違いはありますが、ともに「思いやりのかたち」としては同じです。


 さて、具体的な江戸しぐさには、どんなものがあるでしょうか。いくつか紹介しましょう。まずは、江戸しぐさの代名詞ともなっている「往来しぐさ」の中から。


 当時の江戸は人口100万人の大都市であり、みんなが譲り合って仲良く暮らすことを心がけていました。その中で生まれたのが道を歩くときや渡し舟に乗るときなどの礼儀である往来しぐさでした。


 たとえば、「肩引き」。路地が多かった江戸では、狭い道で他人とすれ違うときには、互いに右に肩を引き合いました。互いの胸と胸が向き合い、体を斜めにすることで、ぶつからずに通り過ぎることができたわけです。


 「傘かしげ」も有名な往来しぐさです。これは、雨や雪の日に道ですれ違うとき、お互いに傘を外に向けること。雫(しずく)がかからないようにとの配慮です。


 「こぶし腰浮かせ」も有名です。乗合舟で後から乗ってきた客のために、先客たちが、こぶし分、腰を浮かせて詰め合せました。後の客は、そうした配慮に対して「かたじけない」とか「有り難うございます」と礼を述べてから座った。現代では、電車などの公共交通機関で求められるマナーです。若い者がシルバーシートに座って、お年寄りが乗ってくると寝たふりをするようでは、世も末ですね。


 また、「うかつあやまり」というのもあります。


 たとえばJR車内で、若者が中年の男性の足を踏んだとします。中年が「こら、痛いだろうが!」と怒鳴れば、若者も「電車が揺れたんだから、仕方ないじゃないか!」とやり返す。これでは必ず喧嘩になってしまいますね。


 では、足を踏まれたとき、どうするか。踏んだ方があやまるのは当然ですが、踏まれた方も「わたしも、うかつでした」と謝るのが江戸しぐさです。こうすれば、絶対に角が立たず、トラブルになりようがありません。


 そして、わたしが一番好きなのが「いなかっぺい」という言葉です。


 これは地方出身者という意味ではなく、相手の肩書きや貧富を聞いて急に態度を変える俗物的な人間をさします。


 井の中の蛙(井中っぺい)とされて、もっとも軽蔑されました。


 江戸の町人たちは差別を非常に嫌いました。


 もともと士農工商で社会の最下層に位置された商人たちは、せめて自分たちの世界の中では差別を生みたくないと考えたのかもしれません。


 さて、越川先生によれば、「江戸しぐさとは、マナーではない」そうです。


 そして、「江戸しぐさは、江戸っ子のよい癖です」とおっしゃっています。


 癖というのは、いちいち考えなくても体が先に動いてしまうということで、陽明学の「知行合一」にも通じる世界だと思います。


 そんな江戸しぐさの根底には互助共生の精神があると、越川先生はいいます。


 人にして気持ちいい、してもらって気持ちいい、はたの目に気持ちいいもの、それが江戸しぐさなのです。


 そして、忘れてはならないのが「講」の存在です。


 江戸町方では一種の相互扶助会の「講」というものができあがっていました。


 これが江戸しぐさを実際に機能させていく土台となってきたのです。


 江戸の講は原則として、月に2回開かれました。そこでは、江戸を良い都にするためのさまざまな重要な問題を話合い、メンバーを「講中」といいました。


 リーダー的存在は「講師」です。


 「講座」も「講義」も「講堂」も「講習会」もすべてこの講から生まれた言葉です。


 講とは、つまり「世の中」のことでした。そして、世の中を表現する言葉としては「世間」という漢字がよく使われました。


 寺子屋でも、「世間」と書くように教えたそうです。さらには、「人間」と書いて「じんかん」と読みました。「人間関係」そのものの意味が込められていたのです。


 この講こそは、わが社の本業である冠婚葬祭互助会のルーツです。


 わが社のミッションは「良い人間関係づくりのお手伝いをする」ですが、まさに江戸しぐさの精神とまったく同じなのです。


 新刊である『隣人の時代』(三五館)には、「『となりびと』と仲良くなる方法」という章を設けました。そして、その中で、江戸しぐさについて詳しく紹介させていただきました。


 もちろん、本書『身につけよう! 江戸しぐさ』を参考に書きました。


 最後に、東京にお住まいの方々に一言だけ。江戸しぐさを身につけた江戸っ子は、我欲にとらわれた買占めなど絶対にしなかったのではないでしょうか。