No.0262 宗教・精神世界 『必生 闘う仏教』 佐々井秀嶺著(集英社新書)

2011.02.06

 キリスト教に関する佐藤優氏の著書を読み、宗教について考えました。すると、今度は仏教についての本が読みたくなりました。

 また、「葬式仏教」と呼ばれる日本仏教界の未来についても気になります。そこで、話題の『必生 闘う仏教』佐々井秀嶺著(集英社新書)を読みました。

 著者は、現代インドにおける仏教復興運動の指導者です。本書の帯には「煩悩は生きる力」と大きく書かれています。さらに、カバー見返しには次の一文があります。

 『煩悩なくして生命なし。必ず生きる・・・必生。この大欲こそが、大楽金剛です。すなわち、煩悩は生きる力なのです』。自殺未遂を繰り返し、尽きせぬ生来の苦悩の末に出家。流浪の果てにインドへ辿り着いた佐々井秀嶺。かの地で文化復興運動にめぐり会い、四〇年以上にわたりこの運動に身を捧げてきた。現在ではインド仏教徒の指導者として活躍する破格の僧侶が、波瀾万丈の半生と菩薩道、そして”苦悩を超えていく生き方”を語り下ろす」

 著者は、長年の仏教復興運動への功績が認められてインドの故・ラジヴ・ガンディー首相から「アーリア・ナーガールジュナ」というインド名を贈られています。

 「ナーガールジュナ」とは大乗仏教の祖であり、仏教の世界ではブッダに次ぐ聖人とされている龍樹のことです。そんな聖人中の聖人と同じ名を首相から贈られるという事実が、著者のすごさを見事に物語っています。

 著者は、いまや日本の総人口より多い1億5000万人にのぼるインド仏教徒から「バンテー・ジー(上人様)」と呼ばれて愛されているそうです。さらには、日本人でありながら、インド政府少数者委員会の仏教徒代表を務めました。

 本書の編者であり、僧侶でもある高山龍智氏は、本書の「はじめに」で著書の波乱万丈の人生を次のようにまとめてくれています。

 「青年時代、みずからを”世紀の苦悩児”と呼ぶまでに悩み、自殺未遂を繰り返した末、僧侶になった佐々井師。そして修行のために単身渡ったインドで、貧困と抑圧に喘ぐ最下層民衆の実態を知り、その暮らしの中へ飛び込んだ。以来、一度も帰国することなく師は、ヒンドゥー教のカースト制度によって”人間”と見做されない人々に、仏教への改宗による差別からの解放の道を示してきた。その”闘う仏教”の道のりは決して順調なものではなく、時には生命の危機に晒されることもあった。だが、二00二年、仏教の根本聖地ブッダガヤー大菩薩寺がユネスコ世界遺産に登録されるにあたっての尽力など、師の活動は近年、インド国内のみならず世界的にも高い評価を受けている」

 本書は、著者の講和をもとに再構成されたものとのことですが、一人の人間の人生を綴った本としても優れたノンフィクションでした。まるで、中村天風の自叙伝を読んだときと同じ不思議な感覚にとらわれました。天風もインドに渡ってヨガの修行をしたりしましたが、著者との共通点も多いように思います。それにしても、著者の破天荒な人生にはとにかく度肝を抜かれます。

 著者は3度の自殺未遂を経験していますが、次のように語っています。

 「最初の自殺は、1953(昭和28)年、青函連絡船で試みました。理由は、当時交際していた女性を幸せにできなかった自分に、絶望したからです。故郷を発ち、北を目指しました。愛読書だった太宰治の本と、その女性と交わしたラブレターの束を袋に詰めて、人生最後、と思い定めた旅に出たのです」

 「1959年春、大菩薩峠を目指したのです。これが二度めの自殺未遂。そのころ夢中で読んでいた中里介山の長編小説『大菩薩峠』に登場する机龍之助の言葉、『死ぬものは勝手に死ね』が浮かんできて、もう勝手に死んでやろう、と思ったのです」

 いやあ、シビれますね! 太宰を読んで死のうとし、『大菩薩峠』を読んで死のうとする、著者は究極の文学青年だったのかもしれません。それにしても、「死ぬものは勝手に死ね」という机龍之助の言葉はカッコいいですね。

 最近、『人はひとりで死ぬ』というタイトルの本が出ましたが、どうせニヒリズムを気取るのならば、『死ぬものは勝手に死ね』という題名で本を出せば売れるかもしれませんね。まあ、わたしは死んでも書きませんけどね(笑)。

 そして、3度目の自殺ですが、この理由というのが、また常人には想像もできない凄まじいものでした。僧侶となった著者は、『歎異抄』をはじめ、多くの仏教書のみならず、キリスト教の本まで読み漁ります。著者には、胸を裂く恋の悩みや、湧き上がる生の苦しみがありました。この苦しみを解放してくれるなら、もう神でも仏でもいいと思います。著者は、次のように語ります。

 「神と仏、どちらがこの苦しみから救ってくれるのか。一体どちらが解決の道を示してくれるのか。いうなれば、神と仏の闘いが私の中で起こったわけです。生きるための拠りどころを、どこに置くべきなのか。実際、どの宗教書を読んでも内容の入り口では似たようなことが書いてあるのに、先へ進むとそれぞれ相反することが書いてあるように思えました。当時の私にとって、この問題はただ頭の中の理屈ではなく、生きることそのものに直接関わっていたのです。ところが、いくら考えても解決がつかない。いわば行き場を失ったに等しい状態へ追い込まれてしまいました。これが三度めに自殺を考えた理由です」

 なんと、神と仏の闘いが自殺の原因だとは! こんな物凄い理由で死のうとする者が他にいるでしょうか!

 著者が3度目の自殺を思いとどまった場面も非常にドラマティックです。1963(昭和38)年の9月、著者は死ぬために乗鞍岳に登ります。そばにあった石をつかみ、それで何度も頭を殴りつけ、ついに頭を割って流血します。寒さで意識は朦朧としてきます。ここで眠ったら確実に死ねます。

 しかし、著者は突然、死ぬのが怖くなり、「神さま、助けてくれー!」と叫ぶのです。「助けて下さい、助けて下さーい!」と力一杯、大きな声で叫ぶのです。しかし、著者はふと、「俺は一体、神というものを見たことがあるのか?」と思います。著者は神を見たことがありませんでした。まだ見たことも会ったこともないのにそれを一生懸命に拝んで、すがろうとし、助けを求めて叫んでいるわけです。著者は、次のように語ります。

 「それまで私が学んできた仏教では、天地自然、大宇宙が『我』である、と説く。六大、すなわち、地・水・火・風・空・識。いわば宇宙の構成要素ですね。この天地自然と同じもので自分はできている。この生命は大宇宙の生命と同じなのだ、と。
 また、阿弥陀というのも他ではない。無限の光明、永遠の生命を表している。その大いなる力にいだかれて、私達は生きている。どこか別の世界にいる如来ではなく、今ここにいる自分が、阿弥陀の一部なのではないか・・・・・」

 そう思えた瞬間、著者は嬉しさのあまり立ち上がって、「勝った、勝ったぞー!」と叫んだそうです。それは、仏が神に勝ったという意味ではなく、苦悩に打ち勝つ道、すなわち「仏道」を見出したというのです。ついに求めていたものを見つけた著者は、次のように語ります。

 「しばらくして東の峰に光が差し、朝焼けに染まった雲間から、太陽が昇ってきました。憔悴した私を、山の朝日が柔らかに包んでくれました」

 わたしは、神と仏の闘争が終わった後に太陽が昇るのが象徴的だと思いました。仏教だキリスト教だといっても、しょせんは人間の脳内の思考ゲームの要素が強く、太陽や月といった大自然には人間の思惟など吹き飛ばす圧倒的なパワーがあるのではないでしょうか。

 また、わたしは太陽こそは「神」そのものであり、月こそは「仏」そのものだと思っています。著者が仏道にめざめた後に満月が昇ったというなら問題はないのですが、太陽が昇ったというのが興味深いと思いました。

 それは、「仮面の神道家」とも呼ばれた日蓮を連想させます。日蓮にも著者にも、その心中には月のような静寂さではなく、太陽のような情熱が宿っていることを示しているように思いました。

 その著者の心中に宿る情熱は、カースト制度に苦しむインドの被差別民衆を救済することに注がれていきます。インドに渡った著者は、仏教徒たちが「菩薩」と仰いで心から信奉する一人の人物を知ります。

 その人こそ、不可触民階級に生まれながら、”偉大な20世紀の巨人”と呼ばれたビーム・ラーオ・ラームジー・アンベードカル博士でした。著者は、アンベードカル博士について次のように語っています。

 「この方こそ、インドのカーストによる差別を法律上で廃止した、解放の大先達であります。日本や外国では、マハートマ・ガンディーがカースト制度を撤廃したかのようにいわれていますが、事実はそうではありません。

 大英帝国からの独立を最優先に考えていたガンディーは、差別はいけないことだがインドという複雑な国をまとめていくにはカースト制度を残しておくべきだ、と主張していました」

 では、なぜガンディーが差別をなくしたかのように言われているのか。それは、彼が不可触民を”ハリジャン(神の子)”と呼んだためです。不可触民は神の子であるというのがガンディーの主張でした。

 しかし、アンベードカル博士はこれに反対したのです。博士は、「人間は皆等しく神の子だというのなら分かるが、われわれ不可触民だけを神の子と呼ぶのはおかしい。ましてやその神が、カースト制度をするヒンドゥー教の神の総称”ハリ”というのは支離滅裂もはなはだしい」と考えたのです。

 アンベードカル博士は、インドに生まれた宗教で諸外国にも認められており、さらには近代思想にも矛盾することのない仏教こそが、インド人の「こころ」の未来を開く新たな精神基盤としてふさわしいという結論に至ります。

 アンベードカル博士は、1947年のインド独立の際に初代法務大臣に就任します。その比類なき法律家の能力をネルー首相から頼られたのです。そしてついに、アンベードカル博士は悲願であったカースト制度を全面的に禁止した現行インド憲法を作り上げたのでした。

 さらに、アンベードカル博士は1956年10月14日、その人生の究極目標を果たそうとします。インド中央部ナグプール市において、約30万人の不可触民とともにヒンドゥー教から仏教への集団大改宗を挙行したのです。そして、博士はインド仏教の復興を高らかに宣言しました。著者は、次のように述べています。

 「アンベードカル博士が生涯闘い続けた、カースト制度。
 その数、三十三億ともいわれるヒンドゥー教の神々は、剣、弓、投擲円盤、三叉戟など、さまざまな武器を手にしています。中には、獅子や虎に跨って牙を剥く神さえいる。
 それら神々の名のもとに”ひと”として扱われない人間達のため、博士はたった一人、ペン一本を武器に『神々』との戦いに臨み、その結果、理論において見事な勝利をおさめたのです。
 『ジャイ・ビーム!』このインド仏教徒の合言葉こそ、人間解放、仏教復興の願いが込められた雄叫びなのです」

 これを読んで、わたしは非常に感動しました。もともと仏教を開いたブッダは、差別から人間を解放し、すべての生きとし生けるものの「平等」を説きました。

 今年5月公開のアニメ映画にもそのことが描かれています。その生涯をかけて差別と闘い続けたアンベードカル博士、そして今もその志を受け継いでいる著者こそ、”現代のブッダ”と呼ぶべきではないでしょうか。

 さて、本書のタイトルにもなっている「必生」ですが、これは著者の造語です。著者にとってこの「必生」の二文字は、「今日まで自分自身を奮い立たせてきた言葉であり、煩悩を昇華し大楽金剛の精神を体現したものなのです。例えば、なにかに全身全霊を込めて立ち向かわんとするとき、その気迫や信念を言い表せば、必ず生きる、の必生になる」というわけです。そして著者は、その必生の精神で「立ち上がれ!」と読者に呼びかけます。

 最近の日本では瞑想やヨーガがブームとなっていますが、著者はそれを大変結構なことだとしながらも、瞑想三昧に浸るにはそれを許す環境があって初めて可能となることを指摘します。そして、次のように訴えるのです。

 「さまざまな矛盾に満ちた世界に文字通り目を閉ざし、『瞑想』だけをしていられるでしょうか。ただ座っている場合ではありません。ブッダは”慈悲”を説いたのです。
 私が暮らすインドほどではないにせよ、日本においてもさまざまな社会的矛盾、制度の不備など、慈悲の心で立ち上がるべき問題がたくさんあるはずです。
 瞑想ブームもよろしいですが、座ってメディテーションをするだけではなく、その瞑想で得たものを、今現に泣いている人達のためどのように生かすのかを、なにとぞお考えいただきたいと思います。
 座ってばかりでは、慈悲を眠らせることになります。そうなれば、不義不正に屈したのも同然。もはや仏教ではなくなります」

 さらに著者は「座禅や瞑想は、立ち上がってからなにをするか、そのためにあると思います」と喝破し、本書の最後で「さあ、立ち上がってください」と訴えています。

 この著者の魂の叫びは、当然ながら日本の仏教者にも向けられています。日本は仏教国とされていますが、「葬式仏教」に成り下がっていると批判する声も多いです。島田裕巳氏の『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)がベストセラーになりましたが、島田氏の批判の矛先も葬祭業界というよりは仏教界に向けられていたように思います。

 もちろん、わたしは葬式に価値を置く人間ですが、現在の日本仏教には問題点が多いのも事実だと思います。このわたしでさえ、日本仏教は死者のお世話だけでなく、もっと生きている人間を救うべきだと感じています。

 仏教者には、自殺を少しでも減らす努力などをしていただきたいと切に願っています。冠婚葬祭業者としての私たちは仏教界に身を置くわけではありませんが、仏教とは切っても切れない深い関わりを持っています。

 日本における仏教はその思想性が時代に強く求められながらも、葬儀や法事など現実の場面において現代人のニーズやウォンツを必ずしもとらえきれていないのです。そして、その足りない部分を補完する者は、わたしたち冠婚葬祭業を置いて他にはいないと確信します。残された遺族の悲しみを癒す「グリーフケア」などは、まさに最たるテーマでしょう。

 さらに、わたしは、お寺本来の機能の復活ということを考えています。仏教伝来以来1500年ものあいだ、日本の寺は生活文化における3つの機能を持っていました。「学び・癒し・楽しみ」です。 

 まず、「学び」ですが、日本の教育史上最初に庶民に対して開かれた学校は、空海の創立した綜芸種智院でした。また、江戸時代の教育を支えていたのは、寺子屋でした。寺は庶民の学びの場だったのです。

 次の「癒し」ですが、日本に仏教が渡来し最初に建立された寺である四天王寺は4つの施設からなっていました。「療薬院」「施薬院」「悲田院」「敬田院」です。最初の3つは、順に病院、薬局、家のない人々やハンセン病患者の救済施設であり、最後の敬田院のみが儀式や修行を行なう機関でした。四天王寺にしても当時の総合医療センターであり、中世以降も高野聖など、寺に定住しないで行く先々の地域の問題に対応した多くの僧たちがいました。 

 最後の「楽しみ」、芸術文化ですが、日本文化ではそもそも芸術、芸能は神仏に奉納する芸であって、それ自体が宗教行為でした。お寺を新築するときの資金集めのための勧進興行などがお堂や境内で大々的に行われました。こう考えてみると、「学び・癒し・楽しみ」は仏教寺院がそもそも日本人の生活文化において担っていた機能だったのです。

 しかし、明治に入って、「学び」は学校へ、「癒し」は病院へ、「楽しみ」は劇場や放送へと、行政サービスや商業的サービスへと奪われてしまい、寺に残った機能は葬式だけになってしまいました。

 2004年2月にオープンしたわが社のサンレーグランドホテルはまさに、かつてのお寺が持っていた「学び・癒し・楽しみ」をテーマとする複合施設です。わたしは、今年からさらに21世紀の祇園精舎をめざすべく、サンレーグランドホテルに多くの改良を加えるつもりです。

 現在、全国各地のお寺でさまざまなイベントやセミナーなどが開催され、「お寺ルネサンス」が叫ばれています。わたしは、サンレーグランドホテルを進化させることによって、自分なりの「お寺ルネサンス」をめざしたいと思います。

 最後に、本書を読んで痛感したのは「怒り」の大切さです。書名の「闘う仏教」という言葉には、非暴力主義を貫きつつも、燃える闘争心が感じられます。そこにはインドに根強く残る不義不正への怒りが込められています。

 『怒らないこと』などの著者があるアルボムッレ・スマナサーラなどは、「怒り」を否定しています。でも、これはやはり小乗仏教の考え方であり、座って瞑想をしている僧侶の言い分ではないかと思います。不義不正などを前にした場合、僧侶というより一人の人間として、やはり怒るべきでしょう。

 もちろん、小さな自我を守らんとする小さな怒りなど捨て去るべきです。しかし、社会の矛盾に対する大きな怒り、弱者の救済を願う大きな慈悲から発せられた強い怒りは違います。いつの時代であろうが、社会を少しでも良くしていくためには、怒りのパワーが必要です。著者は、私心のない怒りである「金剛の大怒」の必要性を訴えます。

 そういえば、ダライラマ14世も「慈悲に基づく大きな怒り」の重要性を説いています。日本の仏教関係者はもとより、すべての日本人が「金剛の大怒」を知るべきでしょう。わたしは孤独死や無縁社会を肯定する暴論に対して強い怒りを感じています。なんとか、有縁社会を再生し、孤独死を減らしてやろうと日々企んでいます。わたしも、著者の説く「金剛の大怒」をもって自らの使命を果たしてゆきたいと考えています。

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