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「論語」の話』

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No.0261

 

 執筆中の『世界一わかりやすい論語の授業』(仮題、PHP文庫)の内容を、思い切って大幅に方向転換することにしました。いわゆるオーソドックな論語解説書にわたしの考えを織り込もうと思っていたのですが、もっと根本から「世界一わかりやすい」本を作ることを決心しました。イラストや図版などのビジュアル面も充実させて、日本だけでなく中国や台湾や韓国でも翻訳出版できるようなグローバルな入門書をめざします。それで刊行時期を今年の春から秋に変更しました。 じっくりと時間をかけて、最高のテキストづくりに励みますので、乞う御期待!


 ということで、これまで『論語』についての「平明かつ最高の入門書」として名高い本を読んでみました。『「論語」の話』吉川幸次郎著(ちくま学芸文庫)です。


 著者は、いわゆる京都学派の大物だった学者ですね。そして、日本における中国文学の最高権威として知られた人でした。


 本書は、1カ月にわたって著書が『論語』について講義した記録です。


 第一回「はじめに―『論語』とはどんな書物か」で、著者は『論語』という書物の名前は日本人の耳にたいへん親しいものであり、それは明治年間までは日本で最も広く読まれた中国の書物であったということに起因するとしています。そして、著者は次のように述べています。


 「それはあるいは、中国の書物であることが忘れられて、民族の古典として広く読まれたといえます。単に読まれたばかりではありません。少なくとも徳川時代におきましては、知識人といわれる人たちは、この書物の全文を、あるいは全文でなくとも少なくとも大部分を、暗礁することができたと思います」


 本家の中国では、長い間、孔子が編集した5つの書物、『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』のいわゆる「五経」が最重要とされました。すなわち、孔子の言行録である『論語』は副読本的な位置にあったのです。


 しかし、11世紀から12世紀にかけての宋の時代に古典学あるいは儒学の世界に大きな変革が起こります。朱子が、孔子が尊重した「五経」を第一とすることから、孔子自身を尊重するということに変革したのです。この改革以後、中国でも『論語』は広く国中で読まれる書物になりました。著者は述べます。


 「単に知識人ばかりではありません。町の人たちも農村の人たちも、文字を知る限りの人たちは、まず初めに『論語』を読むという風習が、近い過去千年足らずの中国には非常に普遍にあったのであります。でありますから、中国の人ならば、少なくともこの近い過去の千年以来の人人で、文字を知っている中国人である限り、『論語』を読まない人はなかった、そういうふうに申せるのであります。


 そうした状態は現在の中国にもむろんあるのでありまして、中国の知識人の人人、これは政治家をも含めまして、『論語』を、少なくともいまの時点においては、みんな暗礁している。魯迅も『論語』を暗礁していたでありましょう。郭沫若さんもそうでありましょう。蒋介石さんもそうでありましょう。毛沢東さんもそうでありましょう、周恩来さん、劉少奇さん、みな『論語』は大体暗礁していられると、私はにらんでおります。現にまたそれらの方方の書物の中に、ときどき『論語』の引用が見えるのであります」


 それでは、なぜ『論語』は多くの中国人や日本人に暗礁されるほど読まれてきたのでしょうか。『論語』に書かれていることの何が多くの人々の心をとらえてきたのでしょうか。著者は、第二回「『論語』が読まれてきた理由」で次のように述べます。


 「それは人間として最も重要なこと、それは人と人との間にある愛情、その愛情を増大してお互いが生きていくこと、それこそ人間の義務であるとする。そうした愛情の義務を『論語』の中では〈仁〉ということばで申しております。そうした愛情の義務こそ人間の使命である、そういう主張、それが深く人に訴える。またそうした愛情の義観をもって人間が生きていかなければならないということは、強い理想主義であります。そうした理想主義の書物としておそらく極東において最もすぐれた書物であるということが、この書物が多くの読者をもちつづけてきた一番根本の原因であるでありましょう」


 本書では、『論語』に書かれている倫理的なメッセージがわかりやすく解説されています。しかし非常に興味深かったのは、本書には孔子の神話的なエピソードが紹介されている箇所でした。たとえば、著者は次のように述べています。


 「孔子も父の子ではなくして、神の子である、ちょうどキリストの母はマリアである、しかし彼は神の子であって父の子ではない、処女懐胎の伝説がキリストにはございますが、それと同じような切が、孔子についても、ある時期の中国では発生しております。それはちょうど司馬遷が「史記」を書きました漢の時代のことでありますが、そのころでは孔子は単なる人類の教師ではなくして、革命家だった、彼のころの中国の政治体制を変革し、その次にあらわれるであろう大帝国、それは漢という大帝国として現実になったのでありますが、そうした大帝国のために新しい政治の法則をあらかじめつくった革命家である、そうした説が漢の時代にはたいへん普遍にあったのでありまして、そうした人にふさわしくその出生もたいへん異常であった。お母さんが黒い竜の気を受けて生まれた、その黒い竜は天の神様であった、孔子もまた天の神の子であるという説であります」


 さらに、孔子の死ぬときの神話的エピソードも本書に紹介されています。『礼記』の中に出てくる物語ですが、次のようなものです。


 「ある朝、講師はたいへん早く起きた、そうして手をうしろ向けに組んで、つえを引きずりながら、門べを散歩していた。そうして歌を歌った。『泰山はそれ頽(くず)れんか』あの地上の最も大きな山である泰山がくずれそうだ、『梁木はそれ壊れんか』一軒の家の中心になりますはりの木が落ちてくる。『哲人はそれ萎えんか』すぐれたる人が衰えるであろう、そういう歌を歌って家の中へ入り、座敷ですわっていた。弟子の子貢がそれを聞きつけて、『哲人はそれ萎えんか』と、あの歌声は先生が死に近づかれたということを意味するのではないかと。と、大急ぎで中にはいりますと、孔子は、子貢よ、お前らはなぜもっと早くこなかったのか、私はゆうべ夢を見た、この座敷のまん中でごちそうをもらう夢を見た。座敷のまん中でごちそうをもらうのには二つの場合がある。一つは帝王のとる食事、それがその場所で行なわれる。もう一つは死者に対する供えもの、それがそこで供えられる。いまはすぐれた帝王の出るべき時期ではない。だとするとこの夢の示唆するもの、それはお前にわかるだろう、自分がまさに死のうとするのだ、そういうふうに子貢に語って、それから七日間病床にあってなくなったということが、これは『礼記』の『檀弓』という篇に書いてあります。


 生まれたときの伝説はイエス・キリストに似ているけれども、死ぬときの伝説はまったく似ていません。どうやら著者も、そのことが気になったようです。第二十二回「最晩年の孔子と孔子伝説」に次のように述べています。


 「私がおもしろく思いますのは、同じく人類の教師でありますけれども、孔子の死について発生いたしました伝説は、キリストとは違っております。十字架にかかって血を流してなくなったのではありません。また釈迦とも違っております。弟子たちに守られて幸福な涅槃にはいったのでもありません。現在の人間に失望しながら、しかも未来の人類に対しては期待をかけてなくなった、そうした伝説が発生したことは、いかにも孔子的であります。以上の話は、『論語』そのものに見えるものではありませんけれども、『論語』の中にあらわれます孔子のことばなり行動、それとどこか連なった話のように思います」


 わたしは『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)を書きましたが、サブタイトルが「人類の教師からのメッセージ」となっています。そのため、孔子をキリストや釈迦といった他の「人類の教師」と比較する本書『「論語」の話』の内容は非常に興味深かったです。本書に掲載されている最後の講義となる第二十七回「終わりに―学問のすすめ」の冒頭で、著者は次のように述べています。


 「人類の教師の中で、孔子よりもより崇高な感じをもつ教師はほかにあると思います。しかしわれわれの日常の生活にたいへん密接な感じのする人類の教師、それはやはり孔子であり、またそうした感じの書物は彼の言行をしるしました『論語』であるように私には思われます。それはこの前申しましたように、孔子がたいへん熟慮的な人物であったからであります。人間の希望を知るとともに人間の限定を知って、限定を知った上で人間の希望に向かって進むべきことを穏やかに説く教師だからであります」


 孔子の人となりが見えてくるような発言ですが、著者は続いて、そうした孔子の立場から生まれる非常に重要なことは「学問の重視」であると述べています。


 孔子によれば、素朴なひたむきな誠実さなどは人間にとって必要なものではありますが、それだけでは決して完全な人間にはなれません。「君子」という完全なる人間をめざすには、必ず学問をしなければなりません。「学問をすることによって人間は初めて人間になる」とさえ喝破する著者は、次のように述べます。


 「人間の任務は〈仁〉すなわち愛情の拡充にあります。そうして人間はみなその可能性をもっている、しかしそれはただ素朴にそう考えるだけではいけないのでありまして、学問の鍛錬によってこそ完成される、いいかえれば愛情は盲目であってはならない。人間は愛情の動物である、その拡充が人間の使命である、また法則であるには違いありませんが、愛情の動物であり、その拡充が人間の使命であり、また法則であるということを確かに把握いたしますためには、まず人間の事実について多くのことを知らなければならない、その方法は学問にある」


 わたしは、吉川幸次郎という「日本史上最高の中国文学者」と呼べるほどの大物が、ここまで『論語』をわかりやすく説いていることに非常に感動しました。おそらく本書は、これまで『日本一わかりやすい論語の授業』であり続けたと思います。


 わたしは、本書を読んで、たまらなく学問がしたくなりました。今秋刊行予定の『世界一わかりやすい論語の授業』で、わたしは日本人のみならず中国や台湾や韓国からの留学生たちが読んで学問がしたくなるような内容にしたいと心の底から思いました。