No.0239 評伝・自伝 『満月をきれいと僕は言えるぞ』 宮田俊也&山元加津子著(三五館)

2011.01.07

 『満月をきれいと僕は言えるぞ』宮田俊也&山元加津子著(三五館)を読みました。

 昨年末、三五館の星山社長から直接手渡された本です。人が他人に意思を伝達できるということの不思議と大切さ、そして企業のあり方について、いろいろと考えさせられました。

 2009年2月20日、金沢にある特別支援学校教諭の”宮ぷー”こと宮田俊也さんが脳幹出血で突然倒れました。一命は取り留めたものの「植物状態」と宣告されます。

 そして、日本語で「閉じ込め症候群」と訳される「ロックト・イン・シンドローム」となりました。思いをしっかりと持っていながら、体のどこも動かないために、自分の思いを伝える方法がなく、心が閉じ込められた状態です。

 まさに絶望的な状況だと言えますが、彼には、どんな状況になっても人は絶対に意思を持っていると疑わない元同僚の”かっこちゃん”こと山元加津子さんがいました。

 かっこちゃんは、意思伝達装置という福祉機器を使って、宮ぷーの気持ちを引っ張り上げます。意思伝達装置とは、さまざまな障害で会話ができない方たちが、意思を伝えることができるように補助する装置です。じつは、医療関係者や障害者の方の家族でもその存在はほとんど知られていないのが現状だそうです。

 本書の「まえがき」には次のように書かれています。

 「近視にはメガネやコンタクトが必要とだれでも知っているように、もし世界中に、意思伝達の方法や意思伝達装置の存在が当たり前になっていたら、その現実は大きく変わっていたでしょう。
 ただ、『知らない』というそれだけのために、たったそれだけの理由のために、何年も何十年もの長い間、心を閉じ込めて、目の前の人に『大好き』と言えない。『ありがとう』と言えない。『さびしかった』と言えない。心が通わせられない。そんなことがあっていいはずはないのです」

 本書には、意思伝達装置の一つである「レッツ・チャット」を駆使して、宮田さんの気持ちが見事に伝わるまでの感動的なエピソードが綴られています。

 特別支援学校の教員を長く務めている山元さんは、どんなに障害の重い子どもたちでも、必ず誰もが思いを持っていて、それを他人に伝えたいのだということを確信していました。そして、ともに気持ちを伝える方法を探して、それが見つかったときの喜びは計り知れないことを知っていました。

 その山元さんの奮闘ぶりは、かのヘレン・ケラーに「WATER」と言わせたアン・サリバンを思わせます。また、『さとしわかるか』の書評で紹介した盲ろう者の東大教授・福島智氏の母親である福島令子さんを連想しました。

 本書は、もちろん感動の実話ですが、単に「障害者を支えよう」とか「意思伝達の大切さを知ろう」という内容だけではありません。

 わたしは経営者の端くれですが、本書から企業の本来あるべき姿というものを読み取りました。というのも、宮田さんの思いを伝えるために重要な役割を果たしていたレッツ・チャットという装置が生産中止になったのです。

 この装置がなければ、せっかく成功した意思伝達作戦はスタート地点に戻ってしまう。また、山元さんにはこの装置は広く世の中に知られていないだけで、知られさえすれば、必ず多くの人々を救うことができると考えました。

 レッツ・チャットの事業はパナソニック・グループに引き継がれたのですが、すでに生産は中止され、わずかな在庫を残すだけになっていました。そこで、山元さんはパナソニックの社長宛に「レッツ・チャットの事業継続」を嘆願する署名を集めはじめたのです。

 いろんな人々が応援してくれて、多くの署名が集まりました。ところが、驚くべきことに、パナソニックはまだ署名を渡されていないうちから、事業の継続を決定し、その旨を山元さんに電話で知らせてきました。

 レッツ・チャットをどうしても必要とする人がいるということ、そして、その人のために多くの人々が応援していることを知った段階で、事業継続を決めたのです。わたしは、ここに企業の本来あるべき姿を見た気がしました。

 もちろん、レッツ・チャットという製品は儲からない、つまりそこに「利」がないから生産を中止したはずです。一般に企業とは「利」を追求する存在であるとされます。企業にとって、「利」に反することは許されません。しかし、パナソニックは、「利」よりも「理」を重んじたように感じました。

 「理」とは「ことわり」そのものです。「ことわり」と言うと、まず思い浮かぶのは「論理」でしょう。この論理という語に対して、古来より「情理」という語があります。単なる知識の理ではなくて、情というものを含んだ理です。

 「パスカルの原理」で知られるフランスの哲学者パスカルは、頭の論理に対して胸の情理を力説しましたが、「感情というものは心の論理である」との名言を残しています。

 そして、究極の理として「天理」があります。天理とは、天地自然の理のことです。「天」は大いなる造化、万物を創造し、万物を化育してゆきます。

 その名も天理教の本部を視察したことがきっかけになって天理を悟ったという松下幸之助は、「無理をしないということは、理に反しないということ、言いかえると、理に従うことです」と悟りました。春になれば花が咲き、秋になれば葉が散る。草も木も、芽を出すときには芽を出し、実のなるときには実を結び、枯れるべきときには枯れていく。まさに自然の理に従った態度です。

 そして、松下幸之助はこう言いました。

 「人間も自然の中で生きている限り、天地自然の理に従った生き方、行動をとらなければなりません。といっても、それは、別にむずかしいことではない。言いかえると、雨が降れば傘をさすということです」

 企業経営に発展の秘訣があるとすれば、やはりこの天地自然の理に従うことであるそうです。雨が降れば傘をさすごとくに、平凡なことを当たり前にやるということにつきるというのです。松下幸之助いわく、事業というものは天地自然の理に従って行えば、必ず成功する。いいものをつくって、適正な値段で売り、売った代金はきちんと回収する。簡単に言えば、それが天地自然の理にかなった事業経営の姿である。そしてそのとおりにやれば、100%成功するものだというのです。

 成功しないとすれば、それは品物が悪いか、値段が高いか、集金をおろそかにしているか、必ずどこかに天地自然の理に反した姿がある。「ことわり」は、つまるところ、天地自然の理です。天地自然の理さえ体得すれば、松下幸之助の言うように、事業経営は順調に行くのです。

 また、松下幸之助は、何よりも「礼」というものを重んじました。お客様に対する礼は、人間としての最高の礼を示さなければならない。お客様の存在によって経営は成り立ち、社員は生活できることを考えれば、経営者も社員もお客様に対して「最高、最善の礼」を尽くすことは当然である。

 松下幸之助は「生産者は、いい物を安く作るのが人類への礼というものだろう」とまで言っています。松下幸之助のすぐ近くで長く仕えた元PHP研究所社長の江口克彦氏は、なぜ松下幸之助が経営において成功したのかについて、この「礼」を自らも徹底し、社員にも強く求めたことが重要な成功理由の一つであるとしています。

 まさに、パナソニックという会社は「理」と「礼」を重んじた結果、レッツ・チャットの生産継続を決定したのではないでしょうか。

 これまでのレッツ・チャット事業がうまく行かなかったというのは、多くの人々に知られていなかったからであり、山元さんの署名活動をきっかけに、レッツ・チャットを世に広く知らしめる覚悟もできたのでしょう。

 そして、ここまでレッツ・チャットを必要とする人がいるという事実を前にして、製品そのものの素晴らしさ、その可能性を再確認したのではないでしょうか。ここまでは「理」です。

 さらに、パナソニックは顧客の願いに、大いなる「礼」をもって応えたのだと思います。松下電器産業からパナソニックへ。たとえ社名が変更されようとも、そこには創業者である松下幸之助の「こころ」がしっかりと生きていたのです。

 わたしは、本書に描かれている、もう一つの「こころ」の物語に胸が熱くなりました。

 さて、同僚の献身的なサポートによって、なんとか自分の思いが伝えられるようになった宮田さん。山元さんは、次のように書いています。

 「今日は月がきれいです。宮ぷーはある日、急に涙を見せて『満月をきれいと僕は言えるぞ』と言いました。きれいな月をきれいと言える、大好きな人に好きと言える、おいしいものをおいしいと言える、当たり前のように私たちが思っていることが、決して当たり前ではなかったのです。心が揺さぶられて私も涙がこぼれました」

 レッツ・チャットを使った宮田さんの次の言葉が本書の最大のメッセージでしょう。

 「このほんでだれもがいいたいことがあるとわかってください   としや」

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