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選択の科学』

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No.0245

 

 『選択の科学』シーナ・アイエンガー著、櫻井祐子訳(文藝春秋)を読みました。

 

 著者は、ニューヨークのコロンビア大学ビジネススクール教授です。この20年間、ずっと「選択」をテーマに研究し、さまざまなユニークな実験や調査を行ってきました


 わたしが、何よりもまず興味深く感じたのは著者のこれまでの人生です。


 1969年にカナダのトロントで生まれた著者の両親は、インドのデリーからの移民で、シーク教徒です。一家は72年にアメリカに移住しますが、著者は3歳の時、眼の疾患を診断され、高校入学時には全盲となります。


 家庭では、シーク教徒の厳格なコミュニティが反映されてきました。両親が、着るものから結婚相手まで、すべて宗教や慣習できめてきたそうです。


 そうした中、著者はアメリカの公立学校で「選択」こそアメリカの力であることを繰り返し教えられました。「選択」というテーマに強い興味を抱いた著者は、それを大学に進学してからの研究テーマにすることを思い立ちます。


 スタンフォード大学で社会心理学の博士号を取得します。そのとき、ジャムに関する非常に有名な実験を行います。


 95年、著者はドレーガーズという高級スーパーマーケットを舞台に、「豊富な選択肢は売り上げをあげる」という店の方針を実証しようとする実験を行ったのです。


 しかし、結果はまったくの逆でした。売り場に24種類のジャムを売り場に並べたときと、6種類のジャムを売り場に並べたときでは、前者は、後者の売り上げの10分の1しかありませんでした。これは、商品の選択肢を増やしすぎると売り上げは逆に下るという「ジャムの法則」として広く知られるようになりました。


 この結果が実証的に確かめられると、ビジネスにおけるマーケティングにも応用されていきます。すなわち、金融商品のバリエーションから、洗剤などの消費財、さらにはコンサル会社のコンサルの方法まで、選択肢を絞ることで、顧客満足を上げるという方向に変わっていったのです。


 本書では、他にも実証的研究によってわかった「選択」に関する意外な事実が多く登場します。以下にそれらを紹介したいと思います。


・社長の平均寿命は、従業員の平均寿命よりも長い。その理由は、裁量権つまり選択眼の大きさにある。


・動物園の動物の寿命が、野生の動物よりはるかに短いのは、「選択」することができないからだ。


・が、何もかも決められている原理主義的な宗教に属する人ほど鬱病の割合は少ない。


・わが子の延命措置をするか否かの究極的選択。判断を親がするより、医者に委ねたほうが、後悔は少ない。


・スーパーで品揃えを豊富にすると、売り上げは逆に下がる。


・人は他人と同じに見られたくないため、あえて、不利益な選択をしてしまう。


 本書の冒頭には「選択権を持つことは生き物の基本的欲求である」と書かれていますが、それを裏付ける多くのデータが示されています。帯のキャッチコピーも「選ぶことこそ力につながる」となっていますが、本書は単純な「選択」肯定論ではありません。


 本書の価値は、安易に結論にとびつかず、多角的な視点で「選択」というものが持つ複雑さを浮かび上がらせた点にあります。


 たとえば、「選択は善」という考えは、著者のシティバンクの世界の支店を対象にした調査や、アジア系の子どもを使った実験で揺らぎます。欧米人は選択への欲求が強いけれども、アジア人はそれほどでもないというのです。アジアではむしろある程度の規範をもって決められたほうが、物事がうまくいくそうです。


 そこから、人類の歴史における「個人主義」と「集団主義」の問題が取り上げられます。著者は、次のように述べています。


 「実を言えば、長い歴史を通じてより一般的な行動規範だったのは、個人主義ではなく、むしろ集団主義の方だった。初期の狩猟採集社会は必要上、集団主義の度合いがきわめて高かった。互いの面倒を見ることが、全員の生存確率を高めたからだ。人類が農耕を生活手段とするようになってからは、集団がさらに重視されるようになった。人口が増えるにつれ、かつて人々をまとめていた家族や部族の力は衰え、宗教を始めとするほかの集団がこのすき間を埋めて、人々に一体感と共通の目的を与えるようになった」


 「選択は善」とは限らない。この最大の証明は結婚です。シーク教徒であった著者の両親は親が決めた結婚でした。なんと、父親は結婚するまで母親の顔を知りませんでした。


 本書には結婚式の写真が2枚掲載されていますが、1枚目は式の途中で撮影されたもので、母親の顔はまだベールに覆われています。その隣りに座る父親は、心なしか不安そうな顔をしているように見えます。もう1枚の写真は結婚式が終わった後のもので、母は初めてベールを取りました。すると、素晴らしい美人だったので、父の顔がほころんで笑顔になっていました。


 このような「取り決め婚」について、著者は次のように書いています。


 「現代の読者にとっては、取り決め婚など、とても考えられないかもしれない。だがこのような結婚の取り決め方は、特異な現象でも、インドに特有の慣習でもなく、過去五千年にわたって世界中で見られた行動規範の重要な一部分だった。古代中国から古代ギリシャ、古代イスラエルの十二部族に至るあらゆる世界で、結婚は一般に家族の問題と見なされていた。男女の結婚は、家族間のきずなを生み、強めるための手段だった。近くの見知らぬ部族と姻戚関係を結ぶのも、二国間の政治同盟を強化するのもみなそうだった。結婚の目的は、二人の大人とその子どもで労働を分担する経済的利益のためでもあり、血筋を絶やさず、生活様式の継続性を守るためでもあった。言い換えればこのきずなは、目的を共有することで成り立っていた」


 現代の世界には、二つの結婚が併存していることになります。「集団の利益を図るための取り決め決め婚という昔ながらの規範」と、「相思相愛で結ばれた二人が生涯添い遂げるという建前の、近代版の結婚」の二つです。


 著者は、「どちらか一方がもう一方よりも優れていると言えるのだろうか?」と問題提起しています。そして、調査をしたところ、なんと調査によれば取り決め婚の方が長期にわたっての相手への満足度が高いという結果が出ました。恋愛結婚は熱く始まるが冷めていき、取り決め婚は冷たく始まるが熱く、いや少なくとも温かくなるのでしょうか。著者は、この問題について、次のように述べています。


 「取り決め婚では、ちょうどルームメートや仕事仲間や親しい友人の間にきずなが生まれるように、時間がたつにつれて互いのことが好きになるだろうという前提のもとに、共通の価値観や目標を持った二人が引き合わされる。これに対して、恋愛結婚の基になるのは、何といっても愛情だ」


 その愛情は、残念ながら持続しにくいという特徴を持っています。恋愛結婚の場合、20年連れ添った時点で、夫婦の9割が、当初感じていた情熱を失ってしまうことが、脳活動の調査や直接測定が示したそうです。


 この「取り決め婚」を見直すくだりを読んで、わたしはNHKで昨年放映されたドラマ「ゲゲゲの女房」を思い出しました。


 漫画家の水木しげるをモデルとした夫婦は、戦時中ということもあり、初めて会ってから2・3日で結婚するかどうかの決断を迫られます。松下奈緒扮する女性(後の水木しげる夫人)は大いに悩みますが、家長である父親のすすめもあり、思い切って結婚の申し込みを受けます。


 この結婚には選択の余地などまったくといっていいほど存在しませんでしたが、結ばれた二人は幸せになり、今年で結婚50周年を迎えます。このエピソードは、多くのことを教えてくれます。幸せになるために規範が必要なこともあれば、誰かが決断して本人の背中を押してやることも大切なのです。


 現在、日本では非婚人口が増加する一方です。その結果、「無縁社会」だの「孤族の国」だのと言われるまでになりました。もっと見合い結婚や紹介婚、さらには取り決め婚を大いに見直すべきだと思います。恋愛結婚の増加とともに、離婚件数も増加したことを決して忘れてはなりません。


 それにしても、本書を読んで、そのデータの豊富さ、参考文献の多様さに驚きました。


 著者は、自身の終身在職権再審査をきっかけに、170冊以上の参考文献と50以上の情報源を基にして本書を書き上げたそうです。


 さまざまな学問的領域をクロスオーヴァーした著作ですが、その理由は著者がビジネススクールの教授だという点にあるようです。著者が訳者に語ったところによれば、ビジネススクールというのは、学際的研究に最も向いたところだそうです。訳者の櫻井祐子氏は、次のように書いています。


 「心理学、経済学、脳神経学、社会学、歴史、文学といった分野をまたぐことで、『選択』の力と、我々の生活に果たす役割について初めて理解できるのだという。ビジネススクールでは、グローバリゼーションと、リーダーシップの講座を持っている。どちらも『選択』という視点からのユニークな授業になっているようだ」


 わたしも、今年の秋から北九州市立大学ビジネススクールの特任教授として教壇に立つ予定です。しかも、著者と同じ「リーダーシップ」の講座を持つことになっていますので、非常に楽しみになってきました。


 最後に、本書を読んで、どうしても信じられないことがあります。


 それは、著者が全盲であるという事実です。膨大な参考文献を駆使しているばかりか、本書にはファッションにおけるデザインとか色見本などの話題も出てくるのです。視力を失った人が書いたとは到底思えないのですが、著者は次のように書いています。


 「わたしは目が見えないが、目が見える人の言葉を多用して、この視覚主導の世界でコミュニケーションを図ろうとしている。『見なす』『見守る』『視線を向ける』等々。家族や友人、同僚が、わたしのためにいろいろなものを描写してくれるおかげで、目の見える人たちの世界を歩むことができる。この本を書くこともできるし、それによって、自分が一度もこの目で見たことがない世界を、鮮やかに描き出すことができればと願っている。わたしはこの世界の少数派だから、やむを得ず大勢に合わせるしかないのではと思われるかもしれないが、それは違う。わたしは『視覚言語』に通じているおかげで、穏やかで豊かな生活を送ることができるのだ。この世界の支配的言語を使うことで、目の見える人たちの経験に触れられるからこそ、自分の経験もうまく伝えることができる」


 もちろん著者は全盲の人生を自分で選択したわけではありませんが、自分に与えられた人生を否定せず、陽にとらえて、前向きに生きている。


 『こころの手足 中村久子自伝』の中村久子の生き方が重なりました。わたしは、著者の自らの境遇を受け入れる覚悟、そしてその自信に感服しました。


 じつは本書の中で、一番わたしの心に残ったのは、この部分でした。