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限界集落』

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No.0252

 

 『限界集落』曽根英二著(日本経済新聞出版社)を読みました。

 

 著者は、菊池寛賞受賞のテレビジャーナリストで、昨年4月より阪南大学の教授を務めています。本書は、岡山・鳥取県境の過疎の集落に3年間計190日におよぶ密着取材を敢行した記録で、第64回毎日出版文化賞を受賞しています。



 限界集落とは何か。それは、2人に1人が65歳以上の老人でコミュニティーがまわらなくなった集落です。過疎を通り越して集落の機能が著しく低下し、限界状態にある集落のことです。テレビ・ジャーナリストであった著者は、地方都市からちょっと山に入れば、どこでも過疎、高齢化、嫁不足の三重苦にあることはよく知っていたそうです。


 しかし、それはあくまでも「都会と地方の関係」と単純に理解していたことを自らの徹底取材で思い知ります。それほど、限界集落の現状は厳しく、深刻なものでした。



 「限界集落」という概念を最初に生み出したのは、社会学者の大野晃氏です。


 現在は長野大学の教授ですが、高知大学教授であった1980年代末に「山村の高齢化と限界集落」という論文を書いたのです。


 大野氏は、まず限界集落のプロセスについて次のように書いています。


 「限界集落のプロセスを見れば第一に人口、戸数の激減によって集落規模が縮小し、第二に世帯類型にみる後継ぎ確保世帯が流出し、準老人夫婦世帯(世帯主が55~64歳)から老人夫婦世帯(世帯主が65歳以上)へと比重が移るなかで独居世帯が独居老人世帯となり、集落にこの世帯が滞留し、第三にそのため社会的共同生活を維持する機能が低下し、構成員の相互交流が乏しくなり、各自の生活が私的に閉ざされた『タコツボ』的生活に陥り、第四に以上の結果として集落構成員の社会的生活の維持が困難な状態になる。こうしたプロセスを経て、集落の人びとが社会的生活を営む限界状態に置かれている集落、それが限界集落である」



 大野氏によれば、社会生活の担い手は家族の循環によって生まれます。


 そして、集落には本来、家族の循環が脈々として続いてきました。


 集落は、家族周期のいずれかの段階にある個別家族によって構成されているのです。


 そして、集落は「存続集落」「準限界集落」「限界集落」「消滅集落」の4つの状態に区分されます。存続集落とは、集落のなかで55歳未満の人口が50%を超えており、後継ぎ確保によって集落生活の担い手が再生産されている集落です。


 準限界集落は、55歳以上の人口がすでに50%を超えており、現在は集落の担い手が確保されているものの、近い将来その確保が難しくなってきている集落です。


 限界集落は、65歳以上の高齢者が集落人口の50%を超え、独居老人世帯が増加するために集落の共同活動の機能が低下し、社会的共同生活の維持が困難な状態にある集落です。そして消滅集落とは、人口および戸数がゼロとなり、文字通りに消滅してしまった集落です。



 「過疎」という言葉は、敗戦後から21年後の1966年に初めて登場しました。


 国の経済審議会地域部会の中間報告のなかで使われたのです。


 戦後の復興から高度経済成長をひた走り、地方からおびただしい数の若者たちがコンビナートや都市へと流出していきました。


 その結果として「過密」する都市に対応するように、地方の「過疎」が叫ばれたのです。


 過疎化で人口が減少した地域では、防災、教育、医療、公共交通機関などの基本的な生活条件が次第に損なわれていきました。


 さらには棚田の米づくり、山の木材、和牛などの畜産においても、担い手である若い労働力が激減し、おのずと消えていくのです。


 そのような「過疎」という言葉の登場から40年が経過して、いま、「限界集落」の危機が叫ばれているのです。


 2007年に国土交通省がまとめた数字によれば、全国には7878の限界集落が存在するそうです。中国地方が最も多くて、2270カ所。次に九州の1635カ所。四国が1357カ所、東北が736カ所と続きます。全国7878の限界集落のうち、向こう10年間で423カ所の集落が消滅すると国は予想しています。


 中国地方では消滅する集落が73カ所と、やはり全国でワースト1位です。


 そして、その中国地方のなかでも岡山県が全国で最悪の「限界集落顕在県」となっており、県内の限界集落は447カ所にのぼるそうです。


 本書は、そんな岡山県と鳥取県の県境にある限界集落からのレポートです。


 本書の構成は、次にようになっています。


はじめに―過疎を通り越した限界
プロローグ―中国山地の尾根にある村から
第一章:限界集落のくらし 全盲の農民作家のまなざし
第二章:限界集落の苦闘 蔓牛(つるしうし)復活に人生を賭ける
第三章:何が限界なのか? 集落を成り立たせるもの
第四章:限界への挑戦 ぶどう栽培を地域の産業に
第五章:豊(ゆたか)な限界の島 ゴミが降る島の10年後
エピローグ―限界を乗り越える意志
おわりに


 本書を読んで、まず思ったのは限界集落の存在を自治体が「何とかしなければ」というよりも、「困ったものだ」「あまり表沙汰にしたくない」と考えている節があることです。


 驚くべきことに限界集落に関するデータを持っていない行政があるのです。


 たとえば、鳥取県の日南町、その南の岡山県新見市と高梁市あたり、それに岡山県東部の兵庫県境の市町村が空白のままになっています。著者は、次のように述べます。


 「中国知事会が進める調査に協力しなかった自治体の存在が、限界集落の現状に鈍感で後れをとった岡山県の実情だろう。それとも、外聞を気にする気質が残っているのだろうか」


 自治体だけではありません。限界集落は国にも翻弄されました。


 限界集落に点在する独居老人たちは公共料金の振込みにさえ不自由し、行商の人などにお金を預けて遠くの町にある郵便局での振込みを依頼しているそうです。


 かつて著者が取材した地区では、地元の簡易郵便局が「赤いハンカチ」のサービスをおこなっていました。用事があれば郵便マークの「〒」の字が書かれた赤い布を軒先に出しておくと、郵便屋さんが立ち寄ってくれるのです。


 年金や貯金の引き出しも配達のついでにやってくれました。


 しかし2007年秋には郵政の民営化が決定して、山を越えた遠くの郵便局に一元化され、地元の簡易郵便局は集配業務をやめました。郵便屋さんは来るのですが、郵便と貯金は別会社となり、従来のようなサービスができなくなったのです。


 著者は、次のように述べます。


 「小泉首相の執念の郵政民営化の一方で、長年、山村を支えてきたシステムが消えていく。ほんとうに郵便は維持できるのか。全国一律の配達システム、料金・・・・・心配は尽きない。高齢化が進む山里では、郵便屋さんは老人の安否を知る一つの手段でもあったはずなのだが」


 さらには、行政にも翻弄されます。かの平成の大合併です。


 本書に登場する油野小学校は、平成17年(2005年)の大合併で新見市立となりました。しかし、その2年後、この小学校が廃校となります。もし合併して新見市立にならなければ町立の小学校として残すことが可能でした。


 それが行政の思惑に振り回され、133年もの歴史を刻んだ小学校が幕を閉じてしまったのです。その小学校の最後の卒業式の描写には、非常に泣かされました。


 著者は、次のように述べます。


 「地域にとっての小学校の意味、チャイムが聞こえ、子どもの元気な笑い声や遊び声が聞こえ、にぎやかな運動会も開かれた小学校だ。『子どもの声が聞こえんとな』――生あるものの本能的な警告の叫び。『村が消えてしまう』という不安がのしかかっていく」


 その行政は、限界集落にケーブルテレビのケーブルを張ります。


 都会ではケーブル会社や電力・電話会社が光回線を張りますが、コストの割には儲けになりにくい山里に光ケーブルを張るのは行政しかいないのでしょう。


 それを道路工事に代わる一種の公共事業と揶揄する人もいます。


 また、深刻な高齢化が進む山里で、パソコンやインターネットをどれだけの高齢者が使えるのかという疑問の声もあります。インターネットの加入料は別にかかりますが、ほとんどの人はパソコンさえ持っていません。そんなことより高齢者たちの心配は、「さらに体が弱ったら、どうやって先祖の墓守をするか」「寺に住職もいないので、葬式のときはどうするか」といったような問題でした。このあたりは、わたしの専門分野でもありますので、読んでいて胸が締め付けられる思いでした。


 本当は、こんな限界集落に住む方々こそ、互助会が必要なのだとも思いました。


 また、わが社は「隣人祭り」をはじめとする隣人交流イベントの開催を行っていますが、それも地域に多くの人が住んでいてこその話。人が住んでいる隣家まで数キロも離れている限界集落には「隣人祭り」も無縁です。


 改めて、隣人がいるということは恵まれたことなのだなと痛感しました。


 本書の「おわりに」の最後に、著者は次のように書いています。


 「戦後日本人の均一的な価値観と生活設計が、東京一極集中の一方で、多くの限界集落を出現させたのは事実だろう。農業のプロとして生きてきいきたいという新規就農者が都会から移り住むそこは本来、都市住民の先祖や両親、兄弟のいる、ふるさととしての『巣』があった場所である。


 日本の若者だけではなく、親たちにも突きつけられているアイデンティティーの不確かさの背景には、『心の過疎』『心の限界集落』がやはり横たわっているのではないかと思えてならない」


 わたしも、今後、「心の過疎」や「心の限界集落」に日本人の1人としてどう取り組んでいけばよいのかを考え続けたいと思います。