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希望のつくり方』

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No.0233

  

 『希望のつくり方』玄田有史著(岩波新書)を読みました。

 

 著者は東京大学社会科学研究所教授で、専攻は労働経済学です。しかし、現在は「希望学」の専門家として知られています。


 著者とも親しいという作家の村上龍氏は、2002年に発表した小説『希望の国のエクソダス』で、「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」という有名なフレーズを書きました。

 

 その現代日本に欠けているとされる「希望」について正面から考えたのが本書です。著者は、本書の「はじめに」に次のように書いています。

 

 「希望が前提として、当たり前のように与えられていた時代が、かつてありました。そんな時代には、目の前にある希望をかなえるべく、一生懸命働いたり、せっせとお金をためたり、新しいことに勇気をもってチャレンジしていくことができました。しかし、希望という前提がいったんくずれてしまえば、何のために、何をすればよいのかが、わからなくなってしまいます」

 

 また著者は、そもそも希望とは何なのかと問い、次のように述べています。

 

 「希望という言葉を見聞きすることはあっても、希望とは何かをおしえてくれる人はいません。『若者に夢と希望を』といっても、何を若者が手にすれば、希望が得られたことになるのでしょうか。経済の停滞や累積する財政赤字などの重苦しい現実を前に、日本にはもう『希望はない』といわれたりします。社会に生きる多くの人が、希望はないと感じるようになったのは理由は、何なのでしょうか。希望が前提でなくなった時代、私たちは何を糧に未来へ進んでいけばいいのでしょうか」

 

 そんな希望にまつわる疑問を明らかにしようと、著者は仲間たちと「希望学」(正式名称は「希望の社会科学」)という研究を続けてきました。希望学は、希望を単なる個人の心の持ちようとして考えるだけではありません。あくまでも、個人を取り巻く社会のありようと希望の関係に注目してきたそうです。著者は、次のように述べています。

 

 「希望学の最大の特徴は、多くの人の希望にまつわる声に、何より耳をすましてきたことです。これが希望だと最初から大上段にかまえて決めつけるのではなく、希望についてのさまざまな語り口から、希望と社会の関係を発見しようとしてきました」


 本書を読んで興味深かった箇所がいくつかありましたが、希望についての仏教とキリスト教の考え方の違いが面白かったです。

 

 仏教では、あまり「希望」という言葉を使いません。たとえば浄土真宗では、日常生活のなかで「南無阿弥陀仏」と唱えることが大事です。今ここに生きていることに感謝し、念仏を唱えて暮らしていれば、よりよい未来などを希望しなくとも、御仏の導きによって極楽浄土に行くことができると説くわけです。

 

 また禅宗では、「捨てること」の大切さを訴えます。己自身や欲望を捨て、同じように希望などを持つことから煩悩が生まれる。希望も捨てるべきものなのです。一方、希望を持つことの大切さを真正面から説く宗教がキリスト教です。

 

 キリスト教における希望とは、神の救済への祈りが込められおり、希望は善なるものとされます。『新約聖書』の「コリントの使徒への手紙 1」にも、「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この3つはいつまでも残る」と記されています。このようなキリスト教における希望の肯定は、信仰のみならず政治にも影響を与えてきました。アメリカで初めて白人以外の大統領となったバラク・オバマは「チェンジ(change)」とともに「ホープ(hope)」という言葉を大統領選挙の重要な場面でよく使いました。


 わたしは拙著『法則の法則』(三五館)において、大ブームを巻き起こした「引き寄せの法則」というものが欲望の肯定に基づくものであり、そのルーツはキリスト教にあると述べました。キリスト教では、「求めよ、さらば与えられん」と説きます。

 

 でも、一回だけ求めたら、それで終りというわけにはいきません。求めたものが与えられたら、また求める。それも得られたら、また求める。そこには、欲望の永久運動あるいは無限地獄とでもいうべき繰り返しが待っています。その無限地獄に落ち込んだ人間が幸福であるはずはありません。

 

 キリスト教の「求めよ、さらば与えられん」に対して、仏教では「足るを知る」と説きます。両宗教の違いは、水の入ったコップを想像するとわかりやすいでしょう。コップに半分残った水。まあ、水ではなく、わたしの好きなシャンパンでもチューハイでも何でもいいのですが、それを見て、どう思うか。

 

 ずばり、「もう半分しかない」と思うか、「まだ半分ある」と思うか。前者はその後に「困った」という言葉が、後者は「良かった」という言葉が続くでしょう。そして、「求めよ、さらば与えられん」とするキリスト教的発想においては「もう半分しかない」と思い、「足るを知る」仏教的発想においては「まだ半分ある」と思いがちではないでしょうか。どちらが幸福感を得られやすいかはいうまでもありません。


 このように欲望についてはまったく正反対の立場を示す仏教とキリスト教ですが、希望においては共通していると、著者は次のように述べます。

 

 「希望を捨てる方向に導くか、より求める方向に促すのか。その指し示す先はちがいこそすれ、人間が困難のなかで生きざるを得ない存在であることを認めるという点で、仏教とキリスト教は共通しています。いずれの場合も困難な状況のなかでこそ、希望は生まれるのです。

 人間は本来、日々の生きる困難のなかで、希望を否応なく持とうとしてしまう、もしくは希望を持たざるを得ない動物です。特に生きる苦しさにある人々ほど、よりよい明日を求めてしまう。それが、人間の業であり、本性なのです。

 希望は、持つべきか、持たざるべきか、ではありません。困難が連続する社会のなかで生き抜くために、どうしても求めてしまうもの。それが、希望なのです」

 

 ここから、著者は希望と、希望に似た他のものとの違いを説明します。たとえば、「夢」と希望はどう違うか。著者は、過去の膨大な新聞記事をネットで検索した結果、「希望」という言葉に対して最初にヒットしたのが公害病である「水俣病」の記事であることを知り、次のように考えました。

 

 「そんな困難を生き抜くため、それが実現困難であっても、いや実現困難だからこそ、未来に挑む原動力として、人は希望をあえて意識的に持とうとするものです。そこに希望と夢の最も大きなちがいがあります」


 また、「幸福」との対比も非常に興味深く読みました。著者は、「幸福とは、継続を求めるもの」であると指摘します。これは非常に重要な指摘です。幸福な状態にある人が思うことは、「その状態がいつまでも続いてほしい」ということに尽きるといいうのです。著者は述べます。

 

 「『継続』を求める幸福に対し、希望は『変化』と密接な関係があります。夢とちがって希望は、苦しい現実のなかで意識的にあえて持とうとするものであるといいました。過酷な現在の状況から良いウ方向に改善したい。苦しみから少しでもラクになりたい。もしくは誰かをラクにしてあげたい。そんな思いが、希望という言葉には宿っているのです」

 

 わたしは、この「継続」と「変化」という言葉にふれて驚きました。これは、かのピーター・ドラッカーが企業発展の二大要素とまったく同じだったからです。ドラッカーは、企業が発展するためには「継続」と「変化」の両方のバランスが大切と主張しました。「継続」が幸福、「変化」が希望に関わっているとは意外な指摘でした。企業だけではなく、人間個人においても幸福と希望のバランスが求められるのかもしれません。


 と思いながら読み進んでいたら、著者は次のように述べていました。

 

 「幸福と希望は、人生によろこびを得るための二つの大きな要素です。幸福と希望のどちらがすぐれていて、どちらが劣っているというものではありません。頑張ればずっと変わらずに守り続けられるものがあって、維持できる見通しがあれば、それは幸福につながります。一方で、現状のきびしさを認めつつも、より良い未来が待っていると信じられるような変化が期待できるときに、希望は育まれていくのです」

 

 これは本当に重要な指摘であると、わたしは思います。自己実現もマネジメントもリーダーシップも、結局は人の「こころ」に関わっていますが、その「こころ」は幸福と希望に密接に関係しているからです。すべては、幸福と希望のバランス、継続と変化のバランスに極まるのかもしれません。今後、この問題については考えをまとめ、また深めていきたいと思います。


 本書の「おわりに――希望をつくる八つのヒント」で、著者は次のように述べています。

 

 「一番いいたかったのは、希望は与えられるものではなく、自分で(もしくは自分たちで)つくり出すものだということでした。この本の冒頭に『かつて、希望は前提だった』と書きました。現代の希望は、もはや前提ではなく、それ自体、私たちの手でつくりあげていくものなのです」

 

 それでは、どうすれば自分で希望をつくることができるのでしょうか。著者は、本書の最後に8つのヒントをあげています。以下の通りです。

 

1.希望は「気持ち」「何か」「実現」「行動」の四本の柱から成り立っている。希望がみつからないとき、四本の柱のうち、どれが欠けているのかを探す。(39頁)

 

2.いつも会うわけではないけれど、ゆるやかな信頼でつながった仲間(ウィーク・タイズ)が、自分の知らなかったヒントをもたらす。(86頁)

 

3.失望した後に、つらかった経験を踏まえて、次の新しい希望へと、柔軟に修正させていく。(107頁)

 

4.過去の挫折の意味を自分の言葉で語れる人ほど、未来の希望を語ることができる。(112頁)

 

5.無駄に対して否定的になりすぎると、希望との思いがけない出会いもなくなっていく。(128頁)

 

6.わからないもの、どっちつかずのものを、理解不能として安易に切り捨てたりしない。(153頁)

 

7.大きな壁にぶつかったら、壁の前でちゃんとウロウロする。(200頁)

 

8.(ここは空欄になっています。著者いわく、「ご自分の経験をふりかえりながら、希望をつくるヒントを、自分でみつけて、書き入れてみてください」とのこと)


 なかなか、示唆に富んだ興味深い本でした。

 

 この読書館で、『無縁社会』、『助けてと言えない』と、続けて世の中の「絶望」的な部分を取り上げた本の書評を続けて書きました。本書を読んで、ようやく「希望」的な部分が少し見えてきたような気がします。

 

 ちなみに、先の2冊が誕生するきっかけとなった「無縁社会」や「助けてと言えない~いま30代に何が~」はNHKの番組「クローズアップ現代」で放映されましたが、本書のベースとなっている「希望学」も同番組で取り上げられ、大きな反響があったそうです。「クローズアップ現代」というテレビ番組の影響力の大きさを知った次第です。