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クォンタム・ファミリーズ』

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No.0189

 

 クォンタム・ファミリーズ』東浩紀著(新潮社)を読みました。

 

 著者は現代日本を代表する若手批評家として知られています。同世代である伊藤計劃の『虐殺器官』に強い影響を受けたそうです。本書も『虐殺器官』と同じくSFですが、三島由紀夫賞を受賞しています。


 主人公は、芥川賞の候補にもなった作家の葦船往人です。彼は、未来の娘からのメールを受信します。彼女から呼び出されてアメリカのアリゾナに行きますが、帰国したら世界が一変していました。村上春樹の『1Q84』でいえば、主人公の一人である青豆が高速道路の非常階段から降りたとたん、「1984年」が「1Q84年」に変わっていたのと同じです。

 

 そう、この小説はパラレル・ワールド(並行世界)の物語なのです。鎌田東二さんは、「 ShinとTonyのムーンサルトレター 」第59信で本書を高く評価したうえで、「おそらく、村上春樹の『1Q84』とほぼ同時期に書かれていた小説だろうけど、しかし、『1Q84』へのアンサーブックになっていると読めました。おそらく、東浩紀は村上春樹をよく読みこんできた人なのだろうな、と思いました。たぶん、ハルキ・ファンというか」と書かれています。実際、本書にはこれでもかというぐらい「村上春樹」という固有名詞が出てきます。

 

 また、春樹文学の代表作の一つである『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』も何度も登場します。本書そのものが『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』『1Q84』と同じく「並行世界」を題材として取り上げています。たしかに、ハルキ文学へのオマージュ的作品であると思います。

 

 『村上春樹の隣には三島由紀夫がいつもいる。』佐藤幹夫著(PHP新書)という本があるくらい、村上春樹は三島由紀夫の文学的DNAを受け継いでいる作家だと言われますが、東浩紀は村上春樹の文学的DNAを受け継いでいるようです。ならば、著者が受賞した三島由紀夫賞の賞状とは「隔世遺伝」の証明書のようなものですね。


 鎌田さんによれば、小説自体は観念的であるけれども、その中で浮かび上がってくる"家族の肖像"が鮮明な像を結んでいるとして、次のようにわたしに語りかけます。

 

 「ともかく、Shinさん、わたしは、これまでの『家』ではないけれども、しかし、多重な関係構造を持ち、それを自覚し、引き受けているような、『ファミリーズ』の存在がリアルに思えるのです。そういう時代と感覚の中で、では、葬儀はどのような意味と機能と価値を持つのでしょうか? わたしは、神話も儀礼も必要だと確信しているものです。でも、その神話も儀礼も一様ではなく、変化・変容するものです。人間が神話と儀礼を作ったのではなく、その反対に、神話と儀礼が人間を創ったのではないかとさえ思います」

 

 そして、「21世紀の『量子葬儀』というものの多次元的なありようを考え、実行する時が来たのかも知れません」とレターの第59信を結ばれています。


 鎌田さんのいうような「量子葬儀」ではありませんが、本書には2035年の「樹木葬」を描いた場面が出てきます。現在のiPadなどでお馴染みの「地図検索」ですが、未来ではタイムスタンプの機能がついており、バーを動かすと、デジタル上の街路写真の風景が記録映画の早回しのように合成され変化していきます。主人公の葦船往人の娘である風子は、かつて自分が住んでいたマンションが隣接する公園に樹木葬の墓地として統合されたことを知り、驚きます。

 

 「樹木葬、という表記に驚いて、わたしはあらためてあたりを見回しました。

 周囲の木はすべて若く、樹種もばらばらで、地表のあちこちに小さなプレートが埋め込まれていました。わたしは端末のローカルタグリーダーを立ち上げました。その瞬間、暗闇に拡げた薄膜のスクリーンのうえに、何百本もの樹木が発する被葬者の個人情報が押し寄せ、リストとなって表示されました。スクリーンのうえで指を滑らせると、生前の死者たちの動画がつぎつぎと流れ消えていきました。月が木々のうえに浮いていました。わたしは父の墓を思い起こしました。葦船往人はこの世界では、彼の実家があった、伊豆半島の小さな墓地に、遺骨も遺灰もないままにひっそりと葬られているはずでした。わたしも母も、もう10年以上もその墓を見ていませんでした。わたしは身を震わせて公園を去りました」(204頁)


 SFの持つ魅力の一つに未来のテクノロジーの描写があると思いますが、本書には高度情報化が極限状態に達した果ての「IT社会」が興味深く描かれています。

 

 まず、2010年代の後半に、量子回路の価格低下が閾値を超え、家庭用PCに搭載されてネットに大量に接続されます。量子回路が接続されていない旧世代のネットは飽和状態を迎えます。サイトの数が多すぎて、そのうえ広告を目的としたダミーページが次から次へと生成されるために検索が機能しなくなっていたのです。

 

 「当時のネットは、何兆もの自律判断プログラムがダミーエントリやトラックバックスパムをばらまく一方、同じくらいたくさんの修正ポットや削除ポットが動き回り、どれが人間の書き込みでどれが機械の書き込みなのかはだれも区別できず、たいへんな混乱に陥っていました。つまりはそこでは、だれひとり人間の読み手がいないまま、プログラムだけが新たなページを作り、それをほかのプログラムが修正し、またほかのプログラムが再修正する、そんな不毛な争いが膨大な計算資源と回線容量を食い潰して延々と繰り広げられていたのです」(36頁)

 

 2015年の時点で、人間がアクセスするサイトはウェブ全体の5パーセント以下になります。また、旧先進国と中国、インド、ASEAN諸国の計算機消費電力が、総電力需要の1割を超えます。二酸化炭素排出量の抑制のためにも、ネットのスマートな利用は最重要課題となり、この問題を抜本的に解決するものこそ、量子回路の導入でした。

 

 「量子回路を組みこんだコンピュータは、古典回路を用いたコンピュータよりもはるかに強力です。古典回路はオンとオフで動いています。だから一回の計算のステップで、0か1かどちらかしか扱うことができません。ところが量子回路にはオンとオフがない。そのかわりに、ハイゼンベルクとシュレーディンガーの原理に基づいて、一回の計算のステップで0と1のあいだの任意の値を、しかも複数同時に扱うことができる。その数は理論的に無限であり、したがって理論的には、ひとつの量子回路で、無限の数の古典回路と同じ計算力を発揮することができる」(37頁)

 

 ところが、2010年代の末、奇妙な事件が起こり始めます。2018年の夏には、ネット最大の集団投稿型フリー百科事典サイト「ウィキぺディア」で誤作動事件が起きます。英語をはじめとした「ウィキぺディア」の主要ないくつかの言語において、いつのまにか既存の項目群からまったく独立したリンク構造を備えた数百万の項目が立てられたのです。しかも、それらの項目は、この世界に実在しない人物や事象についてのものでした。そうです、ネットのスマート利用のための量子回路の導入が、並行世界を呼び起こしたのです。


 本書のキーワードにもなっている「量子」や「並行世界」、あるいは「人間原理の宇宙論」などは、わたしが『ハートフル・ソサエティ』(三五館)の「神化するサイエンス」に取り上げたテーマです。同書を書くとき、わたしは、おそらく本書の著者も読んだであろう参考文献をたくさん読みました。その意味で、伊藤計劃の『虐殺器官』と同様に、本書『クォンタム・ファミリーズ』に内容にも、不思議な既読感というか、「なつかしさ」のようなものを覚えました。

 

 宇宙を一冊の古文書として見るならば、その解読作業は劇的に進行しています。それというのも、20世紀初頭に生まれた量子論と相対論という、現代物理学を支えている2本の柱が作られたからです。さらにこの2つの物理学の根幹をなす法則を駆使することによって、ビッグバンモデルと呼ばれる、宇宙の始まりの瞬間から現在にいたる宇宙進化の物語が読み取られてきました。


 宇宙はまず、量子論的に「有」と「無」の間をゆらいでいるような状態からポロッと生まれてきた。これは「無からの宇宙創生論」といわれているものです。そうして生まれた宇宙は、ただちにインフレーションを起こして急膨張し、インフレーションが終わると超高温、超高密度の火の玉宇宙になり、その後はゆるやかに膨張を続けます。その間に、インフレーション中に仕込まれた量子ゆらぎが成長して、星や銀河が生まれ、太陽系ができて、地球ができて、その上に私たち人類が生まれるという、非常にエレガントな一大叙事詩というか宇宙詩とでもいうべきシナリオができ上がってきたわけです。そこで宇宙と人間との関係について考えると興味は尽きませんが、いわゆる「人間原理の宇宙論」というものがあります。


 現在、わたしたち人類はこの宇宙のなかに存在しているわけですが、物理的考察をすると、人類が宇宙のなかに存在しうる確率は、ほとんどありえないものとする考え方です。つまり、あたかも神によって「人類が存在できる宇宙」が必然的に選ばれたかのごとくに、さまざまな事柄が調節されて、初めて人類が宇宙のなかで誕生し、存在することが可能である、いや、そうとしか考えられない、そのように宇宙をとらえるものが「人間原理の宇宙論」なのです。

 

 宇宙のなかにある物質の量とか、宇宙の曲率とか、あるいは原子核同士が核融合反応を起こすときの核反応率とか、その他もろもろのあらゆる物理的諸条件の値が少しでも違っていたら、太陽も地球も誕生せず、炭素もできず、炭素型の生命体である私たちの存在もなかったわけですね。

 

 このように、現在の宇宙の様子をいろいろと調べると、わたしたち人間が存在するためには、きわめて計画的に、ものすごい微調整をしなければなりません。偶然にこうした条件が揃うようなことはまずありえないでしょう。ですから、人類のような高度な情報処理のできる生命が存在しているという事実を説明するときに、「これはもう、人類がこの宇宙に生まれるように設計した神がいたのだ」という発想が出てくるわけです。


 では、神という設計者なしで、私たちが存在する理由はどう説明できるのでしょうか。最近の主な考え方に「マルチバース」というものがあります。マルチバースとは、ユニバース(世界、宇宙)の「ユニ」を「マルチ」に置き換えたもの。つまり、宇宙というのは、一つ(ユニ)でなくてもいい、たくさん(マルチ)存在していい、宇宙はいくらでも無限に生まれるのだという考え方です。

 

 ビッグバン宇宙国際研究センター長を務める宇宙物理学者の佐藤勝彦氏は、自身が提唱者の一人である有名な「インフレーション理論」を発展させるなかで、インフレーション中の宇宙には、子どもの宇宙がいくつも生まれて、さらに孫の宇宙、曾孫の宇宙も生まれるという理論を考えました。

 

 佐藤氏によれば、一つの宇宙がインフレーションを起こせば、必ず、さまざまな子宇宙、孫宇宙がたくさん生まれてきます。宇宙の年齢も違う、曲率の値も違う、物理学の法則も違う、いろいろな宇宙が生まれます。そのなかで、小さな確率であるけれども、偶然に、炭素ができて、十分な時間が約束されたがゆえに、知的生命体の人類が生まれるような条件の整った宇宙が生まれることもあるでしょう。

 

 そして、その宇宙のなかに住んでいて、世界を認識されるから、その宇宙は自分たちが存在できるように巧妙に調整されたように見えるわけです。もちろん、知的生命体が生まれない宇宙も無限にあるわけですが、そこにはその宇宙を認識する主体も生まれません。つまり、宇宙を認識できる知的生命体にとっては、自分が認識できる宇宙は必ず、自分が選ばれたように見える宇宙になると説明できるのです。

 

 この佐藤氏によるマルチバース理論は、「人間原理の宇宙論」の解釈として強力な説得力をもっています。そして氏は、「宇宙について考えていくと、結局、人間の存在の意味や意義についても、何かが示されることになる」と述べています。


 マルチバース理論は、量子論の「多世界解釈」にも通じます。現代物理学を支える量子論によると、あらゆるものはすべて「波」としての性質を持っています。ただしこの波は、わたしたちが知っている波とは違う、特殊な波、見えない波です。それで、この波をどう理解するかという点で解釈の仕方がいくつかありますが、その一つが多世界解釈というものです。

 

 SFでは「パラレルワールド」とか「もう一人の自分」といったアイディアはおなじみですが、わたしたちが何らかの行動をとったり、この世界で何かが起こるたびに、世界は可能性のある確率を持った宇宙に分離していくわけです。

 

 量子論においては、いわゆる「コペンハーゲン解釈」が主流となっていますが、この多世界解釈こそが量子論という最も基本的な物理法則を真に理解するうえで、一番明快な解釈でしょう。そして、世界が複数に分かれていくという、一見すると非現実的に思えるこの多世界解釈という考え方が、実は物質世界が本当にどういうものであるかを認識するうえで、非常に本質的なものを抱えているとのかもしれません。

 

 本書では、コンピュータに導入された量子回路が並行世界を呼び込み、複数に分かれていった多世界のあいだの交通を可能にしてしまったわけです。しかし、そのうちに並行世界が消滅してゆくという、さらなる不測の事態が起こります。この原因について、著者は一人の登場人物に次のように明快に語らせています。

 

 「あらゆる並行世界は、隣接する世界でシミュレーションとして計算され続けないかぎり現実になりえない。裏返せば、隣接する世界で計算資源が尽きてしまえば、その世界は消える。端的に消える。宇宙の計算資源には、無限の並行世界を抱えるほどの濃度はない」(220頁)


 本書がユニークなのは、量子回路に象徴されるデジタル的世界が「家族」というアナログ的世界につながっていくところだと思います。

 

 鎌田東二さんの話題に戻りますが、鎌田さんは20年以上前、ある雑誌に「輪廻家族の誕生」というエッセイを書かれました。『老いと死のフォークロア――翁童論Ⅱ』(新曜社)に収録されています。鎌田さんによれば、この世の3次元的な家族とは違う4次元的なというか、異次元を介して別の"家族の肖像"の地図が浮き上がってくる関係性がある。そのような、血縁家族ではない、もう一つの"家族の肖像"をスケッチしています。その文章の最後は、次のような文章で終わります。

 

 「そうした存在世界ないし他者との関係性の重層構造に自己を開き、架橋してゆく、性と血の原理のみによらない、魂の原理に基づく人間関係のありようを、私は『輪廻家族の誕生』と呼びたい」。

 

 鎌田東二さんは、「 ムーンサルトレター 」第59信で、次のように述べています。

 

 「東浩紀の『クォンタム・ファミリーズ』は、もちろん、このような『輪廻家族』を描くものではありません。それは、しかし、量子論的な多次元構造とタイムスリップを持つ時空交差の中で、多重的に家族が織り成されていく関係性の多次元性が描かれていて、わたしにはとても興味深く、面白かったのです。そのような思考と感覚が生まれてくる基盤のリアルさを感じました。それは、『1Q84』で描かれる2つの『月』(そのうちの一つは『緑の月』なのです)よりも、ずっと、リアルで、納得のいくものでした」


 月といえば、並行世界すなわち「もうひとつの世界」のシンボルであり、かつ「あの世」のシンボルでもあります。一連の著書に書いているように、わたしは月に地球人類のお墓をつくる「ムーン・ハートピア・プロジェクト」を提唱し続けています。

 

 月にお墓をつくるというアイデアは、じつは鎌田さんと初めてお会いして対談したときに生まれました。わたしの対談集である『魂をデザインする~葬儀とは何か』(国書刊行会)に鎌田氏との対談も収録されています。そのとき、鎌田さんは次のような注目すべき発言をされました。

 

 「いままで先祖、先祖と過去のことばかりを考えてきた。魂の世界にいる死者のことばかりを思ってきた。でもね、自分もまた、先祖の一人なのですよ。霊を宿して現世に生きる先祖なのです。だから、先祖供養というのはまた自分の供養、自分の世界を手あつく慈しむことなのですね。そうすることで、先祖が自分たちに生まれ変わってくる魂のサイクルといいますか、連鎖を確認しあう。そのことが、とってもくっきり見えてきた」

 

 わたしは、鎌田さんのこの発言を聞いて、目から鱗が落ちた思いがしました。自分は先祖の生まれ変わりであり、自分もいずれは先祖になる。とすれば、自分は先祖の一人だし、先祖供養は自分供養でもあるということになります。しかも、そう考えると自分の子どもや子孫、自分たちの後を継いで生まれてくる者たちだって、先祖ということになります。とすれば、先祖供養はまた子孫供養でもあります。子どもを慈しみ、大切にすることは、ご先祖様を敬うことでもあるわけです。

 

 ですから、教育などを通じて子どもたちの世界を豊かにしてあげることも、子孫のために地球環境を破壊しないように配慮することも、立派な先祖供養だと言えるわけです。ある意味で、本当の先祖とは過去にではなく、未来にいるのかもしれません。先祖は子孫となり、子孫は先祖となる。これぞ、魂のエコロジーです。大いなる生命の輪は、ぐるぐると永遠に廻ってゆくのです。

 

 そう、「輪廻家族」とは「先祖」あるいは「子孫」と同義語なのかもしれません。血縁とは、もともと「血」だけでなく「魂」がどうしようもなく結びついているのです。わたしが『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)で示した「魂のエコロジー」とは、本書『クォンタム・ファミリーズ』の家族観に明らかにつながっています。

 

 本書の帯にもあるように、「かつてない家族SF小説の誕生!」を喜びたいと思います。そして、それが独自の血縁思想をもつ日本から生まれたことを心から祝いたいです。