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手塚治虫のオキナワ』

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No.0191

 

 手塚治虫のオキナワ』本浜秀彦著(春秋社)を読みました。

 

 著者はわたしの大学の同級生で、現在は沖縄キリスト教大学の准教授です。比較文学・メディア表象論が専門です。著者の本浜君が本書を送ってきてくれたのです。

 

 1972年、沖縄がアメリカから日本に返還されました。いわゆる「本土復帰」です。それを記念して、75年7月20日から76年1月18日までの約半年間、沖縄本島北部の本部町で「沖縄国際海洋博覧会」が開催されました。「海洋博」の略称で話題となったこのイベントに、「マンガの神様」と呼ばれた手塚治虫が関わっていたことは、あまり知られていません。

 

 手塚が引き受けた仕事は、日本政府が出展したメイン施設であり、海洋博そのものシンボルでもあった「アクアポリス」の展示プロデューサーでした。未来の海上都市をイメージした「アクアポリス」は、123億円をかけて三菱重工広島造船所を中心に作られました。当時、「半潜水浮遊式」としては世界最大の建造物だったそうですが、それほど評判になったという話は聞きません。

 

 なぜか? 著者は、次のように述べます。

 

 「プロデュース内容は、入館者者が乗るエスカレーターの周囲に映し出される映像などの演出に止まり、また、数千万円かけて制作したオオダコの装置がうまく作動せず、単なる高価な"オブジェ"に終わった例もあったという。手塚、というより、マンガ家やアニメーターが"冷遇"されたこのような逸話は、例えば大阪万博で、『太陽の塔』を制作した画家・岡本太郎の活躍ぶりとは極めて対照的である。マンガという"コンテンツ"ではなく、重厚長大な発想が幅を利かせていた、当時の社会の価値観をそこに窺うことができるかも知れない」


 しかし、アクアポリスの展示プロデューサー就任は、手塚治虫と沖縄をつなぐ"縁"にはなりました。就任の73年頃から、手塚は仕事や家族旅行などで、少なくとも7回は沖縄を訪れており、亡くなる約3ヵ月前の88年11月にもテレビCM撮影の仕事で訪問しています。そして、手塚は沖縄を舞台にしたマンガ作品を4本残しています。

 

 沖縄の米軍基地とベトナム戦争の狂気を描き、映画化もされた「MW」の原型ともいえる「イエロー・ダスト」。沖縄の海とともに暮らすハーフの姉弟が主人公の「海の姉弟」。そして名作「ブラックジャック」シリーズの「宝島」、「オペの順番」の4本です。著者は、この4本を手がかりとして、「マンガの神様」が沖縄に向けたまなざし、その先に広がる「水平線の思想」をさぐります。さらには、沖縄にとどまらず戦後の日本の歩みそのものまでを考える出色の論考となっています。


 本書の「はじめに」に出てきますが、美術史家の岡谷公二は、日本の近代において「南」の島々に関心を寄せた詩人や作家はごく限られていたことを指摘しました。本書には次のように書かれています。

 

 「岡谷は、民俗学の柳田國男の沖縄訪問(1921年)が呼び水となり、『南』の島々の研究が始まったことを高く評価する。確かに、柳田、折口信夫、そして沖縄出身の伊波普猷以降、現在に至るまで『沖縄』に目を開いた民俗学者、詩人、作家、画家、映画監督などは少なくない。それぞれのジャンルで『沖縄』を表象してきた人々を挙げるなら――佐藤惣之助、柳宗悦、岡本太郎、島尾敏雄、今村昌平、大江健三郎、立松和平、北野武、池澤夏樹、宮本亜門、吉本ばなな、桐野夏生・・・・・などがいる」

 

 そして著者は、戦争、基地、アメリカ、「ハーフ」のヒロイン、海と島・・・・・さまざまなキーワードから手塚治虫が表象した「沖縄」を鮮やかに分析していきます。『オリエンタリズム』の著者エドワード・サイードやフランス現代思想を代表するジル・ドゥルーズなども登場して、知的好奇心も大いに刺激してくれる一冊となっています。


 本書の中で特に興味深かったのは、手塚が沖縄を描くとき、そこには「死者とのコミュニケーション」の視点があるという指摘でした。手塚の「沖縄」経験を考える上で「戦争」と「戦後」がマンガ家としての「原点回帰」を促したことを見逃してはならないとして、著者は次のように述べます。

 

 「とりわけ考えられるのが、沖縄戦の数々の慰霊碑が多くある沖縄で、手塚が、『死者』とのコミュニケーションという視点を得たかもしれないということである。というのも、『沖縄』経験以後の手塚は、戦後の自伝的な作品を発表するようになるのだが、それが年代的に青春を振り返ることのできる四十代という中年期と重なったことを差し引いても、戦争で死んだ人たちへのレクイエム的な作品が登場し始めることは無視できない」

 

 「ブラックジャック」シリーズの「宝島」というエピソードは、ちょうど海洋博がオープンした75年7月に「少年チャンピオン」誌上で発表されています。そして、その物語には「五條ミナ」という女性の名前が出てきます。

 

 「五條ミナ」とは、少年時代のブラック・ジャックを可愛がってくれた沖縄出身の看護婦の名前で、彼女はすでに亡くなっていました。彼女の遺言に従って、ブラック・ジャックは沖縄の伝統的な墓である亀甲墓をある小島につくり、そこに彼女を弔います。法外な額の報酬で稼いだ大金は、美しい島を残そうとして、ブラック・ジャックが沖縄の島々を買い取るために使っていたことも明らかになります。

 

 さらには、沖縄の離島である西表島を舞台として、環境保護への願いを込めた「オペの順番」というエピソードは、「ブラック・ジャック」シリーズの最終話でした。手塚治虫がマンガ家としての復活を果たしたとされる記念碑的作品「ブラック・ジャック」には、いかに沖縄の美しい自然環境への想いが溢れているかがよくわかります。


 「宝島」ですが、この物語には自然環境を破壊し、墓を荒らす悪党たちが登場します。自然の美しさにも気づかず、死者の尊厳さえも踏みにじる男たちに、ブラック・ジャックは「生きる値打ちなどない」と言い切ります。この部分について、著者は次のように述べています。

 

 「手塚は、人間の『生』を見つめる上で、『後世』、つまり『死者』たちのとのコミュニケーションの重要性を求めたのではないだろうか。それは何よりも、戦争で亡くなった人々への思いを失っていた、日本の戦後社会への、手塚の批判でもあったに違いない」

 

 まったく同感です。わたしは、拙著『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)で沖縄の先祖供養の精神を本土の人間も取り戻さなければならない、すなわち心の「沖縄復帰」を実現する必要はあると訴えました。沖縄ほど、死者との共生を自覚し、死者とのコミュニケーションを大切にしている場所はありません。それは昨日お会いした我喜屋監督のお話からも強く感じられました。「死者とのコミュニケーション」こそは、明らかに沖縄人の「こころ」の文化となっているように思います。


 さらに、「五條ミナ」は看護婦でした。それは、どうしても沖縄戦で日本軍守備隊の看護要員として動因され、多くの若い命を散らせた「ひめゆり」の女学生たちのことを想い起こさせます。著者は次のように述べます。

 

 「看護に従事して戦場で命を失った少女たちの死のイメージは、おそらく『五條ミナ』に重ねられている。実は、海洋博の際、彼女たちを祀った碑のひとつである、ひめゆりの塔に献花をしようとした皇太子夫妻が、壕の中に隠れていた過激派から火炎瓶を投げられるという、いわゆる『ひめゆりの塔』事件が起きている。もちろん手塚がこの事件のニュースを知らなかったはずはない。また、軍医を養成する大阪大学医学専門学部で学んだ手塚にとって、従軍看護のために命を失った彼女らの存在は、決して他人ごとではなかったのかもしれない。『五條ミナ』を、ブラック・ジャックの恩人として設定したのも、そうした思いがあったからではないだろうか。これらの要素が、『宝島』に凝縮されて盛り込まれていると見るのは決して無理なことではない」

 

 このあたりの著者の推理はまことにスリリングで、「見事」の一言です。天国(ニライカナイ?)の手塚治虫も、かつての愛読者少年が自分の真意を読み取ってくれ、さぞ喜んでいることと思います。


 著者は、小学6年生のときに手塚治虫にファンレターを出したところ、次のような文面のはがきを受け取ったそうです。

 

 「御便りありがとう。来年海洋博のとき沖縄にゆきましてサイン会をやります。きっと皆さんに会えると思うと胸がおどります。(五月頃)元気に身体を大切にして下さい」

 

 これ以来、著者の心の中の最も大切な部分に「マンガの神様」が棲み着き、本浜秀彦少年はマンガ家をめざすことになります。マンガ家志望の小学生は、その後、地元の中学と高校を経て、早稲田大学政治経済学部へ入学。そこで、わたしとも出会います。卒業後は、川崎製鉄の海外事業部、「琉球新報」の記者という経験を経て、学者となり、本書を上梓したわけです。

 

 この本は、心の中の死者である手塚治虫が描き残した「沖縄」をテーマとした4作品へのアンサーブックだと思います。本書の本質とは「死者とのコミュニケーション」そのものであり、その意味で本書は非常に「沖縄」的な本なのです。


 そして、わたしは「沖縄」を描いた4作品だけでなく、願わくば著者が手塚の全作品を論じた「手塚治虫論」が読みたいと思いました。著者は、最終章である第六章の最後に次のように書いています。

 

 「『手塚治虫』とは、手塚マンガとは、『沖縄』という変数をも含む、解くことのできない未知数だらけの方程式かもしれない。

 この場合、変数は、もちろん任意である。

 ただ、『沖縄』という変数は、私にとっては、『命題』に挑むときの、『絶対値』でもあり、時には『ゼロ』でもある」

 

 ならば、「沖縄」という変数をあえて「ゼロ」とした著者の手塚論も読んでみたいです。「萌え」の原点が手塚治虫にあるなどの指摘は非常に興味を引かれましたし(笑)。