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[増補]無縁・公界・楽』

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No.0201

 

 『[増補] 無縁・公界・楽』網野善彦著(平凡社ライブラリー)を読みました。

 

 著者は、宗教学者の中沢新一氏の叔父であり、戦後日本を代表する歴史学者です。そして、本書は著者の代表作です。

 

 本書の「まえがき」には、著者の初めての教師体験において生徒から受けた2つの質問が記されています。東京都立北園高校の教壇に立ったとき、いろんな生徒からの質問に窮して絶句し、立往生したことがあったそうですが、その中で次の2つの質問だけは鮮明に記憶しているそうです。

 

 「あなたは、天皇の力が弱くなり、滅びそうになったと説明するが、なぜ、それでも天皇は滅びなかったのか。形だけの存在なら、とり除かれてもよかったはずなのに、なぜ、だれもそれができなかったのか」

 

 「なぜ、平安末・鎌倉という時代にのみ、すぐれた宗教家が輩出したのか。ほかの時代ではなく、どうしてこの時代にこのような現象が起こったのか、説明せよ」

 

 この2つの質問にはその後も完全な解答を出すことができないと告白しつつ、著者は次のように述べます。

 

 「そのとき以来、脳裏に焼きつき、いつも私の念頭から離れなかったこの問題について考えつづけてきた結果の一部を、一つの試論としてまとめたのが本書である」

 

 わたしは、まずこの「まえがき」の文章を読んで感動しました。高校教師時代に質問を受けてから本書の刊行までには、すでに20年以上の時間が経過していました。しかも、本書を書いた当時の著者は、すでに歴史学者として一流の存在でした。それなのに、昔の生徒の質問を引き合いに出す。わたしは、この教師としての著者の「真摯さ」に感動したのです。それにしても、昔の高校生は良い質問をしたものですね。


 本書を再読して、次から次に目から鱗が落ちる思いがしました。まず、日本中世に存在した「無縁」なる人々が葬送と深く関わっていたこと。現在にも残る日本の葬儀のスタイルは禅宗がつくったものだとされています。そして、禅僧とは、プロフェッショナルな「おくりびと」集団であったということ。そこから、茶の湯や生け花や、さまざまな日本文化が生れてきたこと。

 

 あまりにも、多くの再発見がありすぎて、めまいがする思いです。一つだけ言えることは、「無縁」という言葉と「葬儀」という言葉は分かちがたく結びついていることです。やはり、今年になって「無縁社会」と『葬式は、要らない』が同時に登場したことは必然だったのです。


 もともと「無縁」という言葉は、仏教用語です。著者は、次のように述べます。

 

 「『無縁』の原理は、仏陀の教えとしてとらえられ、天台・真言宗から鎌倉仏教にいたる仏教思想の深化が見出される一方、そこには未開の色彩がなお色濃く残る、さまざまな『無縁』の世界が錯綜して展開していった」

 

 乱暴に言ってしまうと、現在の「無縁社会」の到来と日本仏教の衰退とは明らかに直結していると思います。面白いのは、キリスト教と「無縁」の関係です。著者は述べます。

 

 「西欧の場合、『無縁』の原理はキリスト教とその教会によって、それ自体、組織化されていった。それは、日本の仏教の諸宗派による教団組織に比して、はるかに徹底したものであり、恐らく、実際には広く存在していたとみられる第一段階の『無縁』の場、未開の特質をもった現象は、そのかげになりかくれているようにみえる。また一方、『無縁』の原理は、ユダヤ人やジプシーのような『異民族』集団にも体現させられていたようであり、日本のように、多様で、錯雑した形はとっていないのである」


 さらに乱暴に言うならば、わたしは「無縁社会」を乗り越える発想は、仏教からは絶対に出てこないと思っており、キリスト教と神道の思想的融合から生れてくるのではないかと考えています。

 

 そして、両宗教にはキーワードがあります。キリスト教の「隣人愛」と神道の「祭り」です。そうです、この2つを合わせると、「隣人祭り」になるのです。わが社は日々、多くの隣人祭りの開催サポートをさせていただいていますが、隣人祭り発祥のフランスなどのヨーロッパの形式とは違って、日本の隣人祭りには、日本独自の「祭り」の要素を加えないと今後の普及発展は難しいと考えています。このあたりは、『隣人論』(仮題)にたっぷりと書いていますので、お楽しみに。


 さて、本書における「無縁」論は、人類史的視野で非常にダイナミックに展開されていきます。「エンガチョ」という子どもたちの遊びからはじまって「無縁」の原理を求めた網野善彦は、次のように述べています。

 

 「『無縁』の原理は、未開、文明を問わず、世界の諸民族のすべてに共通して存在し、作用し続けてきた、と私は考える。その意味で、これは人間の本質に深く関連しており、この原理そのものの現象形態、作用の仕方の変遷を辿ることによって、これまでいわれてきた『世界史の基本法則』とは、異なる次元で、人類史・世界史の基本法則をとらえることが可能となる」

 

 網野善彦がいう「無縁」の原理は、きわめて多様な形態をとりつつ、人間の生活のあらゆる分野に細かく浸透しているといいます。子ども時代の遊びから、死者となって埋葬されるまで、人間の一生は、この原理とともにあるとさえ述べています。そのために、「人類の法則をここからとらえうる」というのです。


 「自由」という理念はヨーロッパ産のものであり、日本人にとっての「自由」の意味合いは違います。もともと「自由」という言葉は仏教用語でした。それを福澤諭吉が「freedom」の訳語として採用したとされています。

 

 では、日本にもともとあった「自由」とは何だったのでしょうか。今ではもっぱらネガティブな意味で使われる「無縁」という言葉は、一方でポジティブな意味合いを持っています。徴税や懲役といった義務からの縁を切るといったような意味です。また、「駆け込み寺」のように、公権力の及ばない場所に逃げ込め、縁を切ることができるという「救い」につながるものでもありました。すなわち、西欧などにもあった「アジ―ル」に通じるのです。


 今でも「無縁坂」といった場所の名前が残っていますが、坂とか河原とか、境界のような場所が基本的に「無縁」性のある場所でした。それらは、神の宿る非日常的な場所でもあったのです。網野善彦は次のように述べます。

 

 「実際、文学・芸能・美術・宗教等々、人の魂をゆるがす文化は、みな、この『無縁』の場に生まれ、『無縁』の人々によって担われているといってもよかろう。千年、否、数千年の長い年月をこえて、古代の美術・文学等々が、いまもわれわれの心に強く訴えるものをもっていることも、神話・民話・民謡等々がその民族の文化の生命力の源泉といわれることの意味も、『無縁』の問題を基底において考えると、素人なりにわかるような気がするのである」


 「公界」とは、「無縁」という原理が生きる場所に他なりません。さらには往生楽土や楽市楽座という言葉に残る「楽」とは、完全なる「自由」を実現する、きわめてユートピア的なコンセプトだったのです。著者によれば、日本における「無縁・公界・楽」とは西洋社会の「自由・平等・博愛」に匹敵する思想であったとさえ述べています。この著者の考えの受け売りで、某アルファブロガーのように、「無縁社会だって良いじゃないか」と言い出す人も出てきました。

 

 しかし、これには、さすがにわたしは違和感を覚えます。第一、「無縁社会」が「自由社会」につながるというポジティブなイメージなど、現代日本人にはとても抱きにくいでしょう。明らかに無理があります。著者も、本書の戦国・織豊時代の「無縁」について触れた部分で、「餓死・野垂れ死と、自由な境涯とは背中合せの現実であった」と述べています。これは、現代の日本においても、そのまま当てはまることではないかと思います。

 

 いずれにせよ、この網野善彦が展開した「無縁」論から、日本人にとっての「無縁」の新しい側面が見えてくるかもしれません。