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新・現代歴史学の名著』

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No.0168

 

 新・現代歴史学の名著』樺山紘一編著(中公新書)を読みました。「普遍から多様へ」というサブタイトルがついています。

 

 中公新書の名著ガイドは、創刊時のラインナップである『日本の名著』『世界の名著』をはじめ、非常に目配りがよく、内容も踏み込んだものが多いので、愛読しています。


 本書は、1989年6月に刊行された『現代歴史学の名著』の続篇ということになります。続篇といっても、前篇の刊行からすでに20年以上が経過しています。「現代」が指ししめす対象は大きく変化し、当然ながら名著として取り上げられる歴史書も変化しています。

 

 ちなみに、前篇である『現代歴史学の名著』に取り上げられた歴史書は以下の通りです。


 津田左右吉『文学に現はれたる我が国民思想の研究』

 ホイジンガ『中世の秋』

 パウア『中世に生きる人々』

 ヒンツェ『身分制議会の起源と発展』

 チャイルド『文明の起源』

 ピレンヌ『ヨーロッパ世界の誕生』

 ブロック『封建社会』

 ルフェーヴル『1789年―フランス革命序論』

 ブルンナー『ラントとヘルシャフト』

 大塚久雄『近代欧州経済史序説』

 高橋幸八郎『市民革命の構造』

 石母田正『中世的世界の形成』

 コリングウッド『歴史の観念』

 ブローデル『フェリペ2世時代の地中海と地中海世界』

 カー『ボリシェヴィキ革命』『一国社会主義』

 エリクソン『青年ルター』

 ホブズボーム『反抗の原初形態』

 テイラー『第二次世界大戦の起源』

 フーコー『言葉と物』

 ヴェントゥーリ『啓蒙のユートピアと革命』

 ウィリアムズ『コロンブスからカストロまで』


 前篇が刊行された1989年は、世界を大きく転換させた年でした。日本においては、昭和から平成に元号が変わりました。中国においては、北京で天安門事件が起こりました。バルト三国における対ソ連抵抗、東欧諸国での民主化運動も相次いで始まりました。そして、ついにはベルリンの壁が崩壊します。その一両年のちには、ソ連の解体および冷戦の実質的な終焉。

 

 さらには、これと連動するかのように勃発した湾岸戦争。前篇『現代歴史学の名著』は、これら一連の動向をまったく予測しないままに執筆されたわけです。編著者の樺山紘一氏は、本書『新・現代歴史学の名著』の「はじめに」で次のように述べます。

 

 「たしかに、その一九八九年を境目として、国際政治をはじめとする激烈な変動が、世界を動揺させた。のちの二〇〇一年九月一一日の同時多発テロをへて、二一世紀の世界は、前世紀とはまったくことなる容貌を呈することになった。それを背景として、現代の歴史学は、あらたな思考と感性とを要請されることになったようである」

 

 ということで、本書で取り上げられた新しい現代歴史学の名著は以下の通りです。


 ニーダム『中国の科学と文明』

 梅棹忠夫『文明の生態史観』

 ゲイ『ワイマール文化』

 ウォーラステイン『近代世界システム』

 ル・ロワ・ラデュリ『モンタイユー』

 ギンズブルグ『チーズとうじ虫』

 ル・ゴフ『もうひとつの中世のために』

 サイード『オリエンタリズム』

 網野善彦『無縁・公界・楽』『日本中世の非農業民と天皇』

 アンダーソン『定本 想像の共同体』

 ブリッグス『イングランド社会史』

 ノラ編『記憶の場』

 クールズ『ファロスの王国』

 オブライエン『帝国主義と工業化 1415~1974』

 コッカ『歴史と啓蒙』

 メドヴェージェフ『1917年のロシア革命』

 ダワー『敗北を抱きしめて』

 速水融編著『近代移行期の人口と歴史』『近代移行期の家族と歴史』


 旧来の問題設定が無効となり、日々変わりつつある現実を前にして、歴史書を読むとはどういうことなのか。歴史を学ぶとはどういうことなのか。それを深く考えさせてくれる、哲学的なブックガイドだと思います。

 

 特に、サイードの『オリエンタリズム』やアンダーソンの『定本 想像の共同体』などの、難解な内容のわりに広く読まれ、そのため誤読もされ批判もされてきたようなベストセラーについて詳細に解説している点は評価できるでしょう。

 

 また、先日逝去した梅棹忠夫の歴史に対する立場が、梅棹自身が意識していると告白したトインビーよりもブローデルのほうに近いという樺山氏の指摘なども興味深いです。


 本書でル・ロワ・ラデュリの『モンタイユー』の解説を担当した渡邊昌美氏は、ブローデルが率いた新しい歴史学である「アナール派」について、歴史学の伝統的な守備範囲にこだわらず、柔軟な態度で視野を拡大したことにあると分析し、次のように述べます。

 

 「心性史のように、人間や社会の非合理的部分ないし側面に積極的に照明を当てた点にも大きな特徴がある。例えば、民衆の俗信なども進んで俎上に載せたので、今日では魔女狩りや迷信などは、あたかもアナール派十八番のテーマと思われるほどだ。彼らが排撃したのは、ひたすら個別事件の論証に憂身をやつした、伝統的な歴史学であった」

 

 このような動きは、フランスに限らず、他のヨーロッパ諸国にも見られたそうです。そのような「社会史」的視点を時代が求めていたのかもしれません。では、日本にはあったのでしょうか。樺山氏は梅棹忠夫とブローデルの仕事に共通点を感じ取りましたが、渡邊氏は次のように述べます。

 

 「むろん、我が国にも、この動きはあった。ほんの一例だが、阿部謹也氏の『ハーメルンの笛吹き男』が雑誌『思想』(一九七二年)に掲載された時、(後に増補されて)単行本化(筑摩書房)された時、また網野善彦氏の『無縁・公界・楽』(平凡社)が出版された時。その感動は未だに忘れることができないのだ」

 

 これを読んで、わたしも昔、阿部謹也や網野善彦といった日本が誇る歴史家の本を読みふけり、知的好奇心を大いに刺激されたことを思い出しました。阿部謹也といえば「世間」、網野善彦といえば「無縁」がキーワードです。

 

 「世間」に「無縁」・・・脱稿したばかりの『隣人論』(仮題)のテーマに直結します。まだ改稿や加筆は間に合いますので、これから再読してみたいと思います。