No.0175 文芸研究 『澁澤龍彦 西欧作家論集成(上下巻)』 澁澤龍彦著(河出文庫)

2010.09.14

 澁澤龍彦 西欧作家論集成(上下巻)』澁澤龍彦著(河出文庫)を読みました。

 『書評集成』『映画論集成』『日本芸術論集成』『西欧芸術論集成』『日本作家論集成』と、これまで一連の河出文庫による澁澤龍彦オリジナル集成を読み、この読書館に書評を書いてきましたが、本書は久々に出た新刊です。

 西欧の作家について澁澤龍彦が書いたさまざまなエッセイを集め、生年順に並べて総覧にしたものです。

 上巻は、ギリシャ神話やギリシャ悲劇から始まって、シェイクスピア、ペロー童話、ゲーテ、ノヴァーリス、バルザック、ペトリュス・ボレル、ネルヴァル、ポオ、メルヴィル、ボードレールなどが登場し、世紀末デカダンス小説としてオスカー・ワイルドや澁澤自身にも多大な影響を与えたユイスマンスの『さかしま』、そしてビアズレーの『美神の館』が取り上げられています。

 下巻は、ナボコフ、コクトー、アンドレ・ブルトン、バタイユ、シュペルヴィエル、ボルヘス、サルトル、ピエール・ド・マンディアルグ、ジャン・ジュネ、そしてポーリーヌ・レアージュの『O嬢の物語』といった、澁澤が偏愛した作家や作品が続々と出てきます。

 まず、圧倒されるのは、いわゆる幻想文学に対する澁澤龍彦の造詣の深さです。たとえば、ジャック・カゾットの『悪魔の恋』というフランス幻想小説の先駆的作品があります。『世界幻想文学大系』(国書刊行会)の堂々の第1巻です。その『悪魔の恋』が書かれるにあたって、ジャン・ボダンの『悪魔憑き』、バルタザール・ベッケルの『魔法の世界』、カンディス・ブロニョリの『アレクシカコン』、モンフォコン・ド・ヴィラールの『ガバリス伯爵』などの悪魔学関係の文献をカゾットは利用しました。そうして書かれた『悪魔の恋』は多くの作家に影響を与えました。

 ボードレールの『悪の華』、『火箭』、ゴーティエの『アルベルテュス』、ノディエの『夜の物語集』、ネルヴァルの『幻視者たち』、ホフマンの『四大精霊』、マシュー・グレゴリ・ルイスの『マンク』などには、いずれも『悪魔の恋』の強い影響が見られ、中にはカゾットについて言及している作品も少なくありません。これらの、いわば「DNAリーディング」とも呼ぶべき物語の因果関係を澁澤龍彦は的確に見抜くのです。よほど西欧の幻想文学やオカルティズムに精通していないと不可能なことです。

 そのカゾットの『悪魔の恋』をはじめ、バルザックの『セラフィータ』、ドフォントネーの『カシオペアのΨ』といった幻の名作も初めて紹介していますが、これらは後に国書刊行会の『世界幻想文学大系』に収録されました。『世界幻想文学大系』の編者は、紀田順一郎氏と荒俣宏氏ですが、その両名が澁澤龍彦の大の愛読者であったことは言うまでもありません。

 同じ国書刊行会から出版された『ゴシック叢書』とか『バベルの図書館』、また白水社の『文学のシュルレアリスム』、早川書房の『異色作家短編集』、月刊ペン社の『妖精文庫』などの幻想文学の名シリーズに澁澤龍彦が与えた影響は計り知れないと思います。これらの叢書類は、わが書斎の一角に鎮座しています。澁澤の功績によって、70年代にそれらの叢書が続々と刊行されていったわけですが、澁澤は本書所収の「ネルヴァルと幻想文学」で次のように語っています。

 「『小説のシュルレアリスム』『世界幻想文学大系』などといった、従来では考えられないような突拍子もない企画が実現しつつあるのも、七〇年代なればこその話でしょう。十年前に、私が『世界異端の文学』なんてのを企画したころとは、まさに隔世の感がありますなあ。何でも私のやることは十年早いんでして。いや、これは言わでものことでした」

 幻想文学のみならず、あらゆる西欧文学に精通している澁澤龍彦のエッセイには、比較文学の視点からも興味深いものが多々あります。たとえば、「『イタリア紀行』について」で次のように書いています。

 「私は、サドの『悪徳の栄え』とゲーテの『イタリア紀行』とを重ね合わせて読んだらおもしろかろう、と思うのである。時代もほぼ同じであるし、ジュリエットがヴェスヴィオ火山に登るように、ゲーテもヴェスヴィオ火山に登るのだ。サドが『悪徳の栄え』のなかにナポリ王妃マリア・カロリーネを登場させているように、ゲーテも彼女のことに言及している。そのほかにも、並行した事実や観察がいろいろ発見されるのである」

 ゲーテもサドも、博物誌家的な好奇心のきわめて旺盛な作家でした。二人ともイタリアの地理的景観や歴史的風物を楽しげに語るわけですが、澁澤は「ともすると、これは両人の生きていた、十八世紀という時代に特有な物の見方ではなかったろうか」などと述べています。

 また、アンドレ・ブルトンの『通底器』の冒頭に出てくるエルヴェ・ド・サン・ドニ公爵の『夢および夢を支配する法』と中世日本に生きた明恵上人の『夢の記』、さらにはフロイトの『夢判断』を並べて論じたりしています。

 「アリス あるいはナルシシストの心のレンズ」というエッセイで書いている「デカルト・コンプレックス」というのも興味深いです。ルイス・キャロルの『アリス』を論じる中で、澁澤は「アリスとは、独身者の願望から生まれた美しいモンスターの一種であろう」として、ウンディーネのような妖精的な存在というよりも、リラダンの創造したような人工美女の系譜につながると述べます。

 そして、17世紀の大哲学者デカルトが、その娘の死を深く悲しむあまり、精巧な一個の自動人形を作らせて、これを「わが娘フランシーヌ」と呼んで愛撫し、箱に収めて、どこへ行くにも一緒だったという伝説から、「デカルト・コンプレックス」なる言葉を提唱するのです。その上で澁澤は、ルイス・キャロルとエドガー・アラン・ポオとフランツ・カフカは似ていると喝破するのです。もちろん、キャロルの几帳面ぶりとポオの破滅的な生き方はまるで違います。しかし、女性に対する態度には共通のものがあるというのです。

 ポオは独身者ではありませんでしたが、処女妻ヴァージニアを亡くし、もとより子どもはいませんでした。ボードレールにもノヴァーリスにもプルーストにもカフカにも、いずれも子どもがいませんでした。これは「人間の文化創造ということを考える上で、かなり重大なことだ」と、澁澤は言うのです。

 一般に、澁澤龍彦は童話や児童文学を好まず、そのことは本書にも明言されています。しかし、『アリス』と『ピーター・パン』には強い関心を示し、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』は興味深く読んだようです。

 童話といえば、澁澤は『長靴をはいた猫』というペロー童話集を翻訳しています。「ペロー童話について」というエッセイで、「ペローの童話はおもしろい。グリムなんぞよりも、ずっとおもしろい」との書き出しの後、澁澤は次のように述べています。

 「それはなぜかというと、ペローのほうには、中世の息吹がむんむんしているからである。グリムのほうは近代の洗礼を受けているから、なんだか中途はんぱで、教養主義的で、いわゆる子ども向きに口あたりはよいけれども、つまらないのである」

 そう、澁澤龍彦は、子ども向きに口あたりのよい童話が嫌いなのでした。おそらく、童話さえも大人のための幻想文学として読む趣味を持っていたのでしょう。

 『長靴をはいた猫』の「あとがき」で、澁澤はグリム童話にもペロー童話にも登場する「赤頭巾ちゃん」や「眠れる森の美女」の物語が、精神分析学的解釈のための絶好の資料を提供しているとして、次のように述べます。

 「アメリカの心理学者エーリッヒ・フロムの解釈では、赤頭巾というのは血の色で、メンスの象徴なのである。つまり、赤頭巾ちゃんの物語は、思春期の少女の性の危険に対する、警告の書なのだそうである。また、眠れる森の美女が紡錘(つむ)竿で手を傷つけられるというのは、フランスの女流精神分析学者マリー・ボナパルトの意見では、クリトリス・オナニーの罪の象徴であって、この物語は、少女がクリトリス段階から膣段階へ移るまでの、潜伏期間(それが眠りである)をあらわしているという」

 これらの「性」を中心にした精神分析学の源流は、言うまでもなく、フロイトです。このフロイトおよび精神分析を徹底して嫌ったのが、かの三島由紀夫であり、20世紀における幻想文学の巨人ボルヘスでした。『澁澤龍彦 日本作家論集成』で紹介したように、三島の死に関して、澁澤は読む者の魂を揺さぶるような追悼文を書いています。そして、本書の下巻収録の「ボルヘス追悼」において、澁澤はボルヘスの死について次のように書いています。

 「愛惜の作家が次々に幽明境を異にしてゆくのを見るのはつらいが、しかしボルヘスの死には奇妙な明るさがある。かつて稲垣足穂さんが亡くなったとき、すでに生きているうちから、とっくに永遠の世界へ入ってしまった感のある稲垣さんが亡くなっても、それほど悲しみの気持は湧かないと書いたことがあるが、八十六歳のボルヘスの死に接しても、それと似たような気持を私はおぼえる」

 そして、「ボルヘス追悼」の最後を次のような名文で締めくくるのです。

 「短いものをほんの少ししか書かないで大作家になった男。ここにもボルヘスという作家の秘密がある。あるいは二十世紀文学の秘密というべきか。もうそろそろ垂れ流し長篇小説公害論が出てきてもよさそうである」

 さて、澁澤龍彦といえば、シュルレアリスムとの関係に触れないわけにはいきません。本書の下巻ではシュルレアリスムに多くのページを割き、「アンドレ・ブルトン シュルレアリスムと錬金術の伝統」という長文のエッセイが掲載されています。澁澤は、まず中世の大錬金術師二コラ・フラメルについて詳しく紹介した後、次のように述べます。

 「アンドレ・ブルトンの書いたものを読めば、シュルレアリスム運動の発展が、つねに錬金術的探求と無縁ではなかったということは、私たちにも容易に理解されるにちがいない。よく使われる表現を用いれば、この頑固一徹なシュルレアリスムの『法王』は、好んでカバラやヘルメス学のテキストや、アグリッパやラモン・ルルやエリファス・レヴィなどを引用するのである。ブルトンによれば、マックス・エルンストの『稚気(エスプリ・アンファン)』は『偉大なコルネリウス・アグリッパ』のそれと同じものであったし、ヴォルフガング・パーレンの絵のなかには、『クリスティアン・ローゼンクロイツの『化学の結婚』のなかを通り過ぎる鳥、生き返らせる力のある霊鳥の羽』が認められるのだ」

 さらに澁澤は、ブルトンの錬金術への特別な関心とはオカルティズムに対するディレッタントの知的関心などでは全くないと見ています。それは、シュルレアリスムの精神を萌芽として含んでいるグノーシス(霊的認識)に対する、いわば切迫した、のっぴきならぬ関心からだというのです。澁澤は次のように述べます。

 「『近代詩と聖なるもの』(1945年)のなかで、ジュール・モヌロは、シュルレアリスムとグノーシス派とを比較しているけれども、たしかにブルトンは、あたかも砂漠の苦行僧聖アントワヌのように、隠秘学の神秘主義にたえず誘惑されていたと見てよいだろう。ユングの隠秘学への接近を警告して、『神秘主義の真黒な泥水に対する防壁』を作らなければならない、と言ったのはフロイトであった。『秘法十七番』(1945年)のなかで、ブルトンは次のように書いている、『芸術的発見のプロセスは、高等魔術の形式や進歩の方法そのものに従っている』と。ただし、この場合、ブルトンはあくまで慎重に、『高等魔術の形而上的な野心』をばっさり切り捨てるのである」

 そう、シュルレアリスムとは20世紀に復活したグノーシス派だったのです。ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』が世界的ベストセラーになって以来、「グノーシス派」という言葉もよく耳にするようになりましたが、澁澤がシュルレアリスムとグノーシスとの関係を追及した時点で、日本人でグノーシス派を知っていた人はほとんどいなかったのではないでしょうか。

 いや、グノーシス派だけではありません。カバラも、ヘルメス学も、フリーメイソンも、薔薇十字団も、多くの日本人は澁澤龍彦の著作によって、初めてその存在を知ったのです。澁澤龍彦こそは、まことに偉大な西欧思想紹介者でありました。

 下巻の最後で、澁澤はポーリーヌ・レアージュの『O嬢の物語』を論じます。『O嬢の物語』といえば、ポルノ小説の歴史に残る傑作とされています。わたしが小学生の頃に映画化され、そのエロティックなポスターを見て、子ども心にドキドキした記憶があります。

 わたしも知らなかったのですが、『O嬢の物語』は、サン=テグジュペリの『星の王子さま』以後、現代フランスの小説で世界で最も多く翻訳され、最も多く読まれ、最も多く論評された作品だとか。その衝撃度については、カトリック作家のモーリアックが、このアンモラルな小説を読んで色を失ったという伝説が残っているほどです。

 これほどの話題作ですが、なんと著者のポーリーヌ・レアージュの正体はまったくわかっていないというのです。有名な作家が偽名で書いたという噂も根強く、大きな謎につつまれたままなのです。澁澤は、「『O嬢の物語』について」で次のように述べます。

 「元来、フランスには、すでに世に認められた高名な詩人や小説家が、いわば彼らの高級な手すさびとして、エロティックな作品を匿名で書き残すという、きわめて文化的な伝統があったのである。十九世紀のミュッセ、ユゴー、ゴーティエ、メリメ、ヴェルレーヌ、ランボー、ピエール・ルイスはもとより、二十世紀のアポリネール、コクトー、アラゴン、バタイユにまで、この伝統は連綿とつづいている。だから『O嬢の物語』は、こうした文化程度のきわめて高い、フランスという国で初めて誕生することのできた、異色の傑作と考えることもできるのである」

 澁澤はまた、「彼女の性、彼女一個の性ではなく、女性そのものの性の戯画を暗示する」というアメリカの女流評論家スーザン・ソンタグの言葉を受けて、「たしかにOは一つの空虚、女性の性愛のための三つの入り口、セックスと口とアヌスを表わしているのかもしれない。Oという字を見れば見るほど、そんな気がしてくるから妙である」などと述べています。ふふふ、面白いですねぇ。

 かくして、ギリシャ神話から始まった西欧文学をめぐる壮大な旅は、セックスと口とアヌスのシンボルとしての「O」に行き着くのでした。三島由紀夫やボルヘスとは違い、澁澤龍彦はフロイト主義者だったのでしょうか。

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