No.0180 哲学・思想・科学 『バイオフィリア』 エドワード・O・ウィルソン著、狩野秀之訳(平凡社)

2010.09.22

 バイオフィリア』エドワード・O・ウィルソン著、狩野秀之訳(平凡社)を再読しました。「人間と生物の絆」というサブタイトルがついています。

 わたしは若い頃にリゾート・プランナーのような仕事をしていた時期があります。その当時、愛読していた本です。

 著者はアメリカの生物学者ですが、「バイオフィリア」という、人間と自然との関係を考えるうえできわめて興味深いコンセプトを提示しました。

 「バイオフィリア」を一口で説明すると、生命もしくは生命に似た過程に対して関心を抱く内的傾向ということになります。「バイオ」は「生物」、「フィリア」は「愛する」を意味するギリシア語からきています。

 わたしたち人間は、幼いころから、自発的に人間や他の生き物に関心を抱きます。生物と生命を持たないものを見分けることを学び、街灯に引き寄せられる蛾のように、生命に引き寄せられていきます。

 目新しさや多様性は特に好まれます。たとえば、「エクストラテレストリアル」(地球外)という言葉を聞いただけで、未知の生命への憧れが呼び覚まされますが、それは、かつて人々を絶海の孤島やジャングルの奥地へと誘ったあの魅惑の言葉「エキゾティック」に代わる役割をいま担っているのです。

 生命に親しみ、探究するという営みは精神の発達と深く関わる複雑なプロセスであるとするウィルソンは、こうしたことは哲学や宗教ではいまだに軽視されがちだが、この「バイオフィリア」という傾向こそ私たちの存在の基盤であり、そこから私たちに魂は生じ、また希望も生まれると主張します。

 それだけではありません。現代生物学はまったく新しい世界観を生み出しましたが、それは偶然にも人間精神のなかにひそむ「バイオフィリア」という内的方向性と合致したものでした。言いかえれば、この稀なケースにおいては、本能と理性がうまく調和しているのです。そこからウィルソンが引き出す結論はきわめて楽観的なものです。

 わたしたちが他の生物を理解すればするほど、そうした生物、ひいては私たち人間自身により大きな価値を見出せるようになるに違いないと言うのです。

 ウィルソンが展開した理論は非常にシンプルですが、パワフルです。自然を愛する心性は人間に遺伝的に組み込まれたものであり、人間は自分たちに適した環境を快いと感じるようにできているともウィルソンは言うのです。

 彼は、人間の身体がその故郷であるアフリカの熱帯サバンナで暮らせるように進化したことを、多くの証拠から認めました。人間は、500~600万年前にチンパンジーとの共通祖先から枝分かれして、250万年ほど前に現在の私たちと同じ属のヒト属が登場しました。

 その後、原人からネアンデルタール人を経てホモ・サピエンスに至るわけですが、このホミニゼーション(ヒト化)の舞台となったのがサバンナなのです。森林に住んでいた祖先が、おそらくは気候の変動が原因で、草原に進出したのでしょう。直立二足歩行と集団での狩猟は、まさにサバンナという広い草原地帯にふさわしかったのです。

 身体の毛が少ないとかいった人間を特徴づけるさまざまな形質も、サバンナでの狩猟生活への適応だったのではないかと考えられています。

 ならば、精神面はどうでしょうか。人間の精神も、もともとサバンナでの生活に向くようにできていたのではないか。ウィルソンは、「サバンナの風景を眺める者の遺伝子のなかには、それを美と感じる何らかの感覚が潜んでいると考えられはしないか」と提唱しています。そして、サバンナを特徴づける眺めとして、3つの要件をあげました。1つめは、広々としていること。2つめは、遠くを見張るための崖や丘、あるいは安眠の場となる穴や木立があること。3つめは、川や湖があること。

 この3要件をひとつにしてみましょう。人間は、住む場所を自由に選べるときはいつでも、近くに川や湖、海などが見え、木々が点在する開けた場所に好んで住みます。この世界共通の傾向は、いまでは狩猟・採集生活の切実な必要からもたらされたものではなく、多くの意味で審美的なものと化し、芸術や造園にインスピレーションを与えているのです。

 また、わたしたちには、自由な時間があると、海岸や川べりを逍遙する傾向も見られます。そうした状況に置かれた人々は、水辺に沿って遠くの丘や高い建物をさがし、そこで聖地や美しい場所を発見しようとするのです。広大な草原、丘、そして水辺。たしかにこの3つの要素は、どんな民族にとっても「パラダイス(楽園)」のイメージとなる。

人類が進化した環境が何らかの形で人間の自然観に反映されているならば、人類が人工的に創り出した自然、たとえば庭園や公園、テーマパーク、そしてリゾートなどには、その特徴が何らかの形で反映されているはずです。

 古代ローマのパティオも、日本の枯山水も、ともに広く開けた場所に、水と緑とわずかな起状からなるという構成要素は同じであります。

 フランスの「太陽王」ルイ14世がつくったヴェルサイユ宮殿も、プロイセンの「大王」フリードリッヒ2世がつくったポツダムのサン・スーシ宮殿も、ともにその庭園は、開けた場所に水と緑と起状があるという基本パターンを踏襲しています。

 さらには、インドのタージ・マハール宮殿の庭園も、現代のニューヨークで人があふれかえるワシントン広場も、中国の山水画が描く幽玄の風景さえ、全部が同じ形式です。古今東西のランドスケープは、すべて、サバンナの風景なのです!

 自然に対する人間の好みも、サバンナへの適応現象として説明できるのではないか。これこそ、バイオフィリア仮説の最も基本となる命題です。自然保護とか自然愛護などは、人間に遺伝的にプログラムされた形質ではないかというわけです。まさに人間の自然愛のメカニズムをさぐるバイオフィリア仮説は、これからの地球と人類にとって最重要となる理論と言えるかもしれません。

 かつてリゾート・プランニングに関わっていたわたしは、人類にとっての憧れの理想郷や楽園のイメージを集め、それを『リゾートの思想』(河出書房新社)という本にまとめたことがあります。そこで真に現代人に求められるのは、ハード先行のレジャー施設などではなく、豊かな自然に恵まれた人間にとっての理想の土地、すなわち「リゾート(理想土)」であると述べました。その理想土の原点とは、まさに人類の故郷であるサバンナだったのですね。

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