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龍之介怪奇譚』

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No.0133

 

 龍之介怪奇譚』小沢章友著(双葉社)を読みました。

 

 著者は、1949年に佐賀市で生まれ、コピーライターを経て作家になったそうです。1993年には『遊民爺さん』(小学館)で、開高健賞奨励賞を受賞しています。


 本書の主人公は、芥川龍之介です。創作に苦しむ龍之介のまわりで、「酒虫」「妖婆」「幻燈」「往生絵巻」「黒衣聖母」と、彼が書いた小説が次々に現実化していくという幻想怪奇小説です。もともと龍之介の作品を愛読し、かつ幻想文学を好むわたしには、こたえられないテーマでした。

 

 文学的な完成度がどうのこうのというよりも、実在の作家たちと龍之介との絡みの部分に不思議なリアリティがあり、非常に興味深く読みました。


 たとえば、谷崎潤一郎の場合。

 

 強靭な顎と確信にみちたまなざしを持った谷崎を、ちらりと盗み見て、龍之介は心の中でつぶやいた。

 たしかに君は心の闇をたくみに描く。「人魚の嘆き」や「魔術師」、「天鷲絨の夢」といった、とびっきり美しいエキセントリックな作品を、他の追随をゆるさない豊富な語彙で、娯楽性豊かに描いてみせる。なぜ、それが君にはできるのか。それは心の闇が君の理性を奪うことはないと、君が信じているからだ。心の闇をどれほど深く覗きこんでも、それに君自身が呑みこまれることはないと信じているからだ。しかし、僕はちがう。僕の場合は、いつそれが理性を呑みこんでしまうか、わからないんだよ。

   (『龍之介怪奇譚』「幻燈」より)


 たとえば、堀辰雄の場合。


 浅草公園にいたる商店街を、龍之介と堀辰雄は歩いていた。

 眼鏡屋の前で、龍之介は、ふと立ち止まった。近眼鏡、遠眼鏡、双眼鏡、拡大鏡、顕微鏡、塵除け眼鏡などがずらりと並んでいる飾り窓の棚に、短髪の西洋人の人形の首がひとつ、鼈甲ぶちの眼鏡をかけて微笑しているのが、眼に止まったのだ。その人形は、見ようによっては男とも女ともとれる顔立ちだった。

 「あの人形、ちょっと不気味ですね」

 まるで処刑台の上に置いてあるような、つるりとした肌の人形の顔を見やって、堀辰雄が言った。

 「人形というのは、みな不気味なのさ」

 龍之介はつぶやいた。

 眼鏡屋の隣には、煙草屋があった。巻き煙草の缶、葉巻の箱、種々のかたちをしたパイプなどが並んでいる中、斜めに白い札が一枚掛かっていた。札には、こう書いてあったーー煙草の煙は、天国の門です。

 天国の門か。

 龍之介はくわえ煙草でその札をながめた。

 「それって、天国の門でしょうか。僕には、地獄の門のようにも思えるんですけど」

 堀辰雄が言った。胸の病いを抱えている堀辰雄は、医者から喫煙を禁じられていた。それは命にかかわるものだったのだ。

 僕も、斎藤茂吉医師から、常々、過度の喫煙をとがめられているけれどね。龍之介はそう思ったが、黙っていた。

   (『龍之介怪奇譚』「往生絵巻」より)


 たとえば、有島武郎の場合。

 

 龍之介は、雑誌「婦人公論」の記者として活躍していた波多野秋子と、ある会合のあと、立ち話をしたことがあった。そのとき龍之介は秋子のことを、才気あふれる聡明な美人ではあるが自分の好みではないと思った。明晰すぎて、なにか余裕がなく、性急すぎる感じがあったのである。あの性急さで、真面目すぎるほど真面目な有島武郎を、死まで追い詰めていったのか。心中事件を知らされたあと、龍之介はそう感じたものだった。

 そのころ、心身の不調から真剣に自殺を考えていたにもかかわらず、龍之介は、ふたりの衝撃的な死を知って憂鬱になり、小島政二郎らと酒を飲み、「死んじゃあ、敗北だよ」と語ったことがあった。死を賭した愛は悪くない。とてもよいと思う。しかし、なぜ、死なねばならないのか。死ぬ覚悟で、不倫の愛をつらぬけばよいではないか。それこそが有島武郎が提唱していた人道主義ではないのか。ほんとうに死んでしまったなら、敗北したことになりはしないか。そうした趣旨の発言をしたのだ。

   (『龍之介怪奇譚』「黒衣聖母」より)


 たとえば、志賀直哉の場合。

 

 京都の山科で会ったとき、ちょうど志賀直哉は自宅の前にひろがる畑に出ていた。がっしりとした体躯で、黒い鉄の鍬を持ち、畑を耕していた。なんというたくましさだろう。贅肉のまったくない、筋肉質のその姿に圧倒されながら、龍之介はひょろひょろと痩せ細った体で、志賀直哉のかたわらに立って、たずねた。

 おのれのことを、どう書けばいいのか?

 書けなくなったときは、どうすればいいのか?

 すると、志賀直哉は鍬を空中に大きくふりかざし、眼にも止まらない速さで、ざっくりと土を耕して、しっかりとした声で言った。

 「書けないときは、書かなければいい」

 その返答に、龍之介は一瞬言葉を失った。事実、志賀直哉は、このままでは書けないと悟って、三年もの間、いっさい筆をとらなかったことがあった。ややあってから、龍之介は、「そういう結構な身分ではないから」とつぶやいて、精一杯抵抗をこころみた。資産家の子という恵まれた境遇で"売文"を断固拒否している志賀直哉と、三人の年寄りと三人の妻子を抱えた自分とは、その立場がちがいすぎることを、せめてもの言い訳にしたかったのである。

 さらに龍之介は、筋肉を過不足なく充填させている志賀直哉の、健康で、頑丈な体躯に、眼がくらむような羨望を感じていた。鍬で土を耕す志賀直哉の姿は、龍之介にこう告げているようだった。

 「おのれを偽りなく書きたいのなら、こうして土を耕すように書けばいい」

 だが、それは龍之介にはできないことだった。全身が病みほうけ、不眠症に冒された、脆弱きわまりない体で、堅い大地を耕すことなど、どうしてできるだろう。

   (『龍之介怪奇譚』「歯車」より)


 そして最後に、宇野浩二の場合。


  「宇野浩二に会おう」

 "文学の鬼"と称揚され、饒舌な文体をあやつり、自由闊達に生きてきた宇野浩二が、突如心を病んだ。その知らせを聞いたとき、龍之介は耳を疑った。自分こそがそうなるはずではなかったのか。実母フクの遺伝を受け継いだ自分は、いつ心を病むのか。龍之介は、それをひたすら恐れてきた。もしも、そうなったらどうしようと、常々、友人の斎藤茂吉に相談し、青山の墓地に近い精神病院を訪れたこともあった。

   (『龍之介怪奇譚』「歯車」より)


 といった具合に、実在した作家が次から次に登場し、それがこの作品の大きな魅力の一つとなっています。

 

 このような小説のスタイルを「虚実皮膜」といいますが、かの荒俣宏氏の大作『帝都物語』も同じジャンルに属します。この『龍之介怪奇譚』が『帝都物語』を意識して書かれたのは、物語の最初と最後において陰陽師が登場することからも明白です。

 

 本書に出てきた作家の中で最も魅力的に描かれているのは谷崎潤一郎で、龍之介とともに夜の浅草を徘徊し、妖しい見世物を一緒に観るくだりなどは、まことに幻想的で、両者の作品世界を愛するわたしを狂喜させてくれました。


 最後に、本書を読んで、わたしは高校時代に自分が書いた短編小説を思い出しました。わたしは一時、小倉高校の文芸部に所属していたのですが、そこで「愛宕」という同人誌に寄稿したのです。「夢中問答~あるいはSの幻想」という題名でした。

 

 当時、三田誠広氏の処女作である『Mの世界』という形而上的な小説を読んだばかりで、おそらくはその影響を受けて書いたものと記憶しています。内容は、夢の中で高校生のわたしが散歩しているとき、芥川龍之介とおぼしき人物に出会い、さまざまな会話を交わすというものです。

 

 中学の終わり頃に、岩波書店から何度か目の『芥川龍之介全集』が刊行され、わたしはそれを毎月購読していました。そのため、龍之介の存在がわたしの中でも大きかったのでしょう。「夢中問答」の最後に、龍之介は、わたしにこう言うのでした。

 

 「いいかい、S君、これだけは憶えておきたまえ。この宇宙全体と全世界史は、ある異界の生物が見ている夢に過ぎないのだよ」

 

 この若書きの小説のことはすっかり忘れていましたが、本書を読んで思い出しました。なんだか、無性に小説が書きたくなってきました。