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百年読書会』

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No.0151

 

 百年読書会』重松清編著(朝日新書)を読みました。

 

 「朝日新聞」紙上に連載された読書会の記録です。作家の重松清氏が選んだ12の名作を、12歳から97歳までの読者が感想を寄せ合いました。応募総数は1万3000通におよんだそうです。


 本書の冒頭で、重松氏は次のように述べています。

 

 「名作とは、世代を超えて読み継がれると同時に、一人の人生の中で何度でも出会えるもの。当読書会に冠した『百年』は『長いお付き合い』という思いをこめた数字です」

 

 そして、重松氏が選んだ名作は、以下の12作品でした。

 

 太宰治「斜陽」

 深沢七郎「楢山節考」

 向田邦子「あ・うん」

 夏目漱石「坊ちゃん」

 大岡昇平「俘虜記」

 幸田文「おとうと」

 松本清張「砂の器」

 内田百閒「ノラや」

 宮沢賢治「銀河鉄道の夜」

 川端康成「雪国」

 開高健「オーパ!」

 三島由紀夫「金閣寺」


 読者の視点の中で、最も興味深く感じたのは「楢山節考」でした。老女おりんの住む山深い寒村では、70歳になった年寄りは「口減らし」のために楢山に捨てられる掟がありました。おりんの息子である辰平は優しい心の持ち主であるため、姥捨ての気持ちはにぶります。

 

 全国の読者からは次のような投稿が寄せられています。

 

 「辰平は、一度はおりんのもとに戻り、雪が降ってきたことを告げると、また駆け出します。〈その時、おりんは泣いたのだろうか。私は泣いたと思う〉と千葉県の星都さん(37)が言う一方で、香川県の中村明子さん(66)は〈むしろの上に正座したおりんは静かに微笑んでいたのではないか〉。また、〈辰平背のぬくもりと家族との対話を感じながら逝けたおりんは、いまの孤独死よりずっと幸せ〉(福島県・三村達道さん・70)という意見にうなずく人も、逆に〈村の貧しさこそが問題。自らを犠牲にして他者を思いやる愛など、なにやら胡散臭く、少しも美しいとは感じられない〉(茨城県・井上通さん・67)の声に共感する人も、それぞれ数多いはず」


 おりんの隣家には、又やんという老人がいました。又やんは70歳をすぎたというのに山に行く気がありません。幼児のように嫌がって逃げまわっていましたが、とうとう息子から芋俵のように縛りあげられます。息子が谷に捨てようとしたとき、又やんはわずかに自由になる指で、必死に息子の襟をつかみます。それを払いのける息子。でも、又やんはもう一方の手で肩にしがみつくのです。深沢七郎は次のように書いています。

 

 「そのうちに倅が足をあげて又やんの腹をぽーんと蹴とばすと、又やんの頭は谷に向ってあおむきにひっくり返って鞠のように二回転するとすぐ横倒しになってごろごろと急な傾斜を転がり落ちていった」

 

 この悲惨な情景を読んだ読者たちは、次のように感想を寄せました。

 

 「〈又やんこそが本来あるべき人間の姿なのではないかと思うようになった〉(兵庫県・りえさん・34)、〈見苦しく生に執着するザマこそが本当だ〉(大阪府・石田誠さん・60)、〈泣いて抵抗して谷に転がされる又やんが、本当の正直な人間なんだと思う〉(神奈川県・甘濃晶子さん・59)」

 

 重松氏も、「又やんは確かに弱い。けれど、その弱さにこそ、人間らしさがあるのかもしれません」と述べています。


 作品のタイトルをめぐる感想も、とても面白く感じました。漱石の「坊ちゃん」というタイトルに、主人公の幼さの象徴と見る人もいます。

 

 「〈漱石の時代に「坊ちゃん」に「世間知らず」の意味があったのかどうかはわからないが、やはり立場の甘さ、抱えているものの軽さを感じる〉(群馬県・齋藤友由樹さん・40)

〈まだ世間知らずで無鉄砲でもやっていけた時代の話だから、あの題名なのだと思う〉(千葉県・つんでれらさん・19)」

 

 その一方で、こんな意見も寄せられました。

 

 「〈「坊ちゃん」という題名は、世間知らずの甘さを込めたものではなく、正義感のある純粋さを尊いものととらえているためだと信じる〉という愛知県の半住人さん(61)の声もまた、坊ちゃんのことが好きで好きでたまらない清の思いを代弁しているかのように胸に響くのです」


 なにしろ題名一つにも、さまざまな受け止め方があります。清張の代表作である「砂の器」の意味など、いろんな説が乱れ飛び、まるで清張ミステリーさながらです。

 

 「〈「砂の器」とは、事件解決の難しさのことか、犯人のアリバイが次々と崩れていったことの象徴なのか〉(埼玉県・荒川博さん・72)、〈地位も名声も「砂の器」でしかない〉(大阪府・山崎千里さん・48)、〈「砂の器」は、人間のもろさや弱さを象徴しているのだろうか〉(東京都・坂元敦子さん・20)、〈「砂の器」とは、不条理と悲しみに満ちた人間の生の「業の器」でもある〉(東京都・本郷哲さん・58)、〈戦争の影をひきずっていた時代に一生懸命に砂で器をつくろうとしている者への、作者の思いやりを感じた〉(神奈川県・田浪由紀子さん・46)」

 

 重松氏は、「清張の仕掛けた謎は、すでにここから始まっていたのかもしれません。そして、作品中であえてその謎が解かれていないからこそ、発表から半世紀近い時をへてもなお、本作は新たな読者を惹きつけているのでしょう」と述べています。


 なぜ、人は小説を読むのでしょうか。人生は、一度きりです。人は誰もがただ一度の人生を、自分一人で生きていくしかありません。やり直しはできませんし、別の誰かの人生と取り替えることもできません。だからこそ、「僕たちは小説を読み、映画やお芝居を愛するのかもしれません」と重松氏は語ります。フィクションの楽しみとは、「たとえ束の間の夢であっても、もう一つの人生を生きてみる」ことに尽きるのではないかと考えた上で、重松氏は次のように述べます。

 

 「一編の小説との出会いが『もう一つの人生』との出会いであるとするなら、かつて心に刻んだ小説を年月を経て読み返すことは、『もう一つの人生』をさらにもう一つ増やすことにほかなりません。そして、同じ小説を読んだ別のひとの感想を知ることで、『もう一つの人生』はもっともっと広がっていくでしょう。それは決して、現実逃避―『いま生きている人生』の否定ではなく、逆に、さまざまな『もう一つの人生』に彩られることで『いま生きている人生』はより豊かになってくれるはずだ、と僕は信じています。願ってもいます。その願いだけは忘れることなく、センエツながらも進行役をつとめてきたつもりです」


 最後に、そんな「もう一つの人生」を創造した作家冥利に尽きるようなエピソードが本書に紹介されていました。

 

 「〈92歳で亡くなった夫が、最後の入院で『坊ちゃん』を読みたいと言い出し、もうハードカバーを持つ力はなかったので、文庫本を持って行った。夫は『坊ちゃん』を読み終わったあとはもうなにも読まず、2週間後に静かに逝った〉」

 

 重松氏は「口を『へ』の字に曲げ、腕組みをして、そっぽを向いてハナをすする坊ちゃんの姿が、僕には浮かんでくるのですが・・・・・・皆さんはいかがでしょう」と書いていますが、作者の漱石もこの話をあの世で知ったら、ハナをすするかもしれませんね。

 

 まったく作家冥利に尽きるとはこのことでしょうが、きっと重松氏も漱石のことをうらやましく思っているのでしょう。でも、重松氏の書いた『きみの友だち』や『その日の前に』などは百年後も残る名作であると思います。

 

 あなたの小説を人生の最後に読みたいという人は絶対にいますよ、重松さん!