No.0105 死生観 『強いられる死』 斎藤貴男著(角川学芸出版)

2010.07.01

 強いられる死 自殺者三万人超の実相』斎藤貴男著(角川学芸出版)を読みました。

 なぜ日本が自殺大国になったのか、その理由をさまざまな角度から探っています。

 2009年の日本における自殺者数は3万2845人でした。一方、年間の交通事故死数のほうは9年連続で減少し、2009年は4914人と、1952年以来じつに57年ぶりに4千人台となりました。

 かつて、自殺者が2万ちょっと、交通事故死が1万人ちょっとの時代が長く続き、自殺者は交通事故死者の2倍という通念がありました。それが今や、6.68倍にも差が開いています。これは明らかに異常でしょう。

 しかし、自殺者3万人超という数字が正しいのかどうかという指摘もあります。日本の死因究明に詳しいジャーナリストの柳原三佳氏は、『日本の論点2009』で次のように述べています。

 「日本では毎年約100万人が死亡し、そのうち病院以外の場所で不慮の死を迎える人は年間約15万人にのぼっている。ところが、かなり疑わしい死体でも日本では司法解剖にまわされないケースが多く、2007年の司法解剖はわずか3.8パーセントにとどまっている。じつはこの数字は世界的に見ても最低レベルで、変死体解剖率が50パーセントを超えている欧州諸国と比べると、異様な低さである。」

 つまり、本来は殺人事件であるにもかかわらず、自殺や事故、病死などとして処理される変死体は相当数にのぼると可能性があるというのです。なんだか怖ろしい話ですね。

 自殺者が3万人を超えているという警察の発表をひとまず信じて、本書を読みました。学校や職場のいじめなど、個々の事例には心が痛みますが、本書に登場する多くの人々の自殺に関する発言の中で、2人の言葉が心に残りました。

 1人は、NPO法人「自殺対策支援センター ライフリンク」代表である清水康之氏。自殺対策基本法制定の真の立役者とも言われる清水氏は、元NHKディレクターです。情報ドキュメント番組「クローズアップ現代」で、親に死なれた子どもたちの取材に当たっているうちに、自ら自殺対策のNPOを立ち上げ、NHKを退職しました。清水氏は講演で、東京マラソンの模様を動画映像で流しながら、こう言いました。

 「1年間に3万人以上もの人々が自殺しています。毎日、毎日、ざっと90人ぐらいずつ。それが10年も続いている。
 交通事故死の6倍です。東京マラソンの参加者は約3万2400人でしたから、ほとんど同じですね。
 道路がランナーで埋め尽くされた状態が、このまま20分も続くことになります。
 彼ら1人ひとりにゼッケン番号があるように、自殺した方々にもそれぞれ、かけがえのない人生がありました。私たちはついつい自殺者が増えた、減ったという言い方をしてしまいがちですが、自殺者は本質的に減ることはありません。3万3000人が自殺した次の年が3万人になったからって、差し引き3000人が生き返ってくるわけではないんです。ただ増えていくだけ。
 しかも、1人が亡くなると、だいたい4、5人のご家族がご遺族になります。3万人が自殺すれば12万人から15万人。こちらも決して減りません。」
   (漢数字を算用数字に変換しました)

 よく思うのですが、3万2000人ちょっといえば、「行旅死亡人」と呼ばれる無縁死として亡くなる人の数と同じです。また、独居老人などが亡くなる独居死者の数も約3万人と言われています。どうやら、3万~3万2000という数字には、日本社会の闇が隠れているようです。

 それから、印象に残った発言をしたもう1人は、経営危機に陥った企業経営者のための相談活動を行う「八起会」代表の野口誠一氏です。

 創業社長として年商12億円の玩具メーカーを育てながら倒産に追い込まれすべてを失った野口氏は、「中小企業の経営者に限ったことではありませんが、このままなら自殺者は増え続けていくでしょう。なぜなら今の日本は大きな病理の中にある。根本的に改めなければならないところがあるからです」と著者に対して述べます。そして、「どういう領域で?」という著者の質問に、次のように答えます。

 「国家体制で”心”の仕組みを作っていく必要があると思うのです。今の日本人には、常に自らを反省し、すべてのものに感謝する気持ちがあまりに足りない。これらは自殺防止のためだけにとどまらず、人間を成長させる基本中の基本ではないですか。感謝とはすなわちお返しする心のこと。それが伴わなければ感謝とは言えませんね。
 産んで育ててくれたことに対する感謝を思えば、親よりも早く死ぬだなんてことはできっこないんです。後は国への感謝。日本という平和な国に生れたからこそ、私たちは何でも食べられる。経営者であれば、そのお返しに、うんと税金を納めることを考えられるようにならなければ」

 この野口氏の意見に対して、著者は「いささか厳しすぎる」と違和感を覚えていますが、わたしには共感できました。野口氏の意見は一種の発想法でもあり、こう考えれば自殺を思い止まる経営者も実際にいると思います。清水氏は1972年生まれ、野口氏は30年生まれで、2人の年齢差はじつに42です。年齢差だけでなく、自殺者に対する態度にも硬軟の差がありますが、わたしにはどちらの意見も、自殺対策には必要な考え方だと思います。

 最後に、「あとがき」に書かれている著者の言葉を紹介したいと思います。

 「誰それの死を無駄にしないために、という言い方が嫌いだ。
 なぜなら死んでしまった人間は絶対に生き返って来られない。
 ある人の自殺から教訓が引き出され、それで世の中の問題点が改善されたからって、本人がその恩恵を享受することはできないのである。
 だが、そんなふうにしか言いようのない場合というのも、亡くなった人のことをどんなに思っても、生き残った者はそれぞれの人生を生き抜いていかなくてはならないから。」

 そう、自殺された遺族は心に大きな傷を受けます。それは、一生消えないほどのダメージになります。学校でいじめられて自殺した子の親。事業が倒産して首を吊った経営者の子。後に遺された者たちが、その後の人生を生き抜いていくためには、「愛する者の死によって社会が改善された」という意味が与えられることも絶対に必要だと思います。

 それは、遺族の悲しみを癒す物語としての役割を果たすからです。すべての愛する人を亡くした人には「癒しの物語」が必要ではないでしょうか。

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