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小暮写眞館』

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No.0100

 

 『小暮写眞館』宮部みゆき著(講談社)を読みました。

 

 なんだか手首が痛くなりました。なにしろ、本書はハードカバーで700ページ以上あるのです。帯には、「もう会えないなんて言わないよ。」というキャッチコピーと一緒に、「あなたは思い出す。どれだけ小説を求めていたか。」というコピーが書かれています。

 

 たしかに、本書を読んで、わたしは小説を読む楽しさを再確認しました。それも大人の小説というか、小学校高学年の頃に読んだジュブナイル小説を再読したような気分になりました。もっと具体的にいうと、学研から『科学』と『学習』という学習誌が出ていましたが、その『6年の学習 夏休み読み物特集号』といった感じです。


 元写真館だった古い家に最小限のリフォームをして引っ越してきた一家の物語です。主人公は、その家の長男である高校1年生の花菱英一です。ニックネームは「花ちゃん」で、なぜか家族からもそう呼ばれています。彼には、光という名前の8歳の弟がいます。ニックネームは「ピカちゃん」。兄弟の年齢は8歳も離れていますが、本当はその間に女の子がいたのです。風子という名の、とても可愛い子でした。

 

 しかし、風子は6年前にインフルエンザ脳炎が原因で4歳で亡くなりました。当時、英一は10歳でしたので、そのときの悲しい出来事をよく記憶しています。でも、2歳だった光は、何も憶えていません。そして、両親は一生消えぬ心の傷を背負いました。母親など、葬儀の席で夫の母から「風邪をこじらせて、かわいい孫を死なせてしまった」と責められ、「風子を返せ!」と言われたのです。


 大事な家族の一員を失ったこの一家には、いつも死者の影があります。もちろん、亡くなった風子の影です。家の中には仏壇が置かれ、みんな、風子の気配を感じながら暮らしています。引っ越してきた家には、元写真館の店主の幽霊が出るという噂までありました。

 

 そんな死者の香りがする家に住む英一の元に、不可思議な写真が次々に持ち込まれます。いずれも「心霊写真」のようでもあり、「念写」のようでもある奇怪な写真でした。それらの写真がいかにして撮影されたか、また、なぜ撮影されたかという謎を英一は追ってゆきます。いわば、心霊写真バスターとして活躍するのです。

 

 このあたりの描写は、参考文献として巻末に紹介されている『心霊写真』小池壮彦著(宝島新書)、『心霊写真は語る』一柳廣孝編(青弓社)などの内容が反映されていて興味深かったです。2冊とも、わたしも夢中になって読んだ本だからです。

 

 風子が亡くなったとき、わずか2歳だった光は、姉のことを覚えていないことに強い罪悪感を抱いています。そして、彼は怖がりのくせに、異常なほど幽霊や心霊写真に興味を抱きます。心霊写真を求める人の心には、亡き愛する人との再会への願望があります。光だけでなく、家族全員が死者のことを考えながら生きています。そう、この小説は、死者を必要とする人々の物語なのです。

 

 幽霊が出る噂のある家を紹介した不動産会社の社長は、次のように英一に語ります。

 

 「生きている者には、ときどき、死者が必要になることがあるんだ。僕はそれって、すごく大切なことだと思うよ。こういう仕事をしているとさ、この世でいちばん怖ろしいのは、現世のことしか考えられない人間だって、つくづく思うから」


 わたしは、死者を求める人間とは、つまるところ「物語」を求めているのだと思います。そして、それは葬儀というものの意味にも深く関わってきます。

 

 葬儀には、4つの役割があるとされています。社会的な処理、遺体の処理、霊魂の処理、そして、悲しみの処理です。

 

 悲しみの処理とは、遺族に代表される生者のためのものです。残された人々の深い悲しみや愛惜の念を、どのように癒すかという処理法のことです。通夜、告別式、その後の法要などの一連の行事。それらは、遺族に「あきらめ」と「決別」をもたらしてくれます。愛する人を亡くした人の心は不安定に揺れ動いています。

 

 しかし、そこに儀式というしっかりした「かたち」のあるものが押し当てられると、不安が癒されていきます。 親しい人間が死去する。その人が消えていくことによる、これからの不安。残された人は、このような不安を抱えて数日間を過ごさなければなりません。

 

 心が動揺していて矛盾を抱えているとき、この心に儀式のようなきちんとまとまった「かたち」を与えないと、人間の心にはいつまでたっても不安や執着が残るのです。この不安や執着は、残された人の精神を壊しかねない、非常に危険な力を持ちます。この危険な時期を乗り越えるためには、動揺して不安を抱え込んでいる心に、ひとつの「かたち」を与えることが求められます。まさに、葬儀を行なう最大の意味はここにあります。

 

 では、この儀式という「かたち」はどのようにできているのでしょうか。それは、「ドラマ」や「演劇」にとても似ています。死別によって動揺している人間の心を安定させるためには、死者がこの世から離れていくことをくっきりとしたドラマにして見せなければなりません。ドラマによって「かたち」が与えられると、心はその「かたち」に収まっていきます。すると、どんな悲しいことでも乗り越えていけるのです。それは、いわば「物語」の力だと言えるでしょう。

 

 わたしたちは、毎日のように受け入れがたい現実と向き合います。そのとき、物語の力を借りて、自分の心のかたちに合わせて現実を転換しているのかもしれません。つまり、物語というものがあれば、人間の心はある程度は安定するものなのです。逆に、どんな物語にも収まらないような不安を抱えていると、心はいつもぐらぐらと揺れ動いて、愛する人の死をいつまでも引きずっていかなければなりません。


 仏教やキリスト教などの宗教は、大きな物語だと言えるでしょう。「人間が宗教に頼るのは、安心して死にたいからだ」と断言する人もいますが、たしかに強い信仰心の持ち主にとって、死の不安は小さいでしょう。なかには、宗教を迷信として嫌う人もいます。

 

 でも面白いのは、そういった人に限って、幽霊話などを信じるケースが多いことです。宗教が説く「あの世」は信じないけれども、幽霊の存在を信じるとは、どういうことか。それは結局、人間の正体が肉体を超えた「たましい」であり、死後の世界があると信じることです。宗教とは無関係に、霊魂や死後の世界を信じたいのです。幽霊話や心霊写真を求めるというのは、そういうことだと思います。

 

 本書は、愛する娘を失った家族の魂の再生の物語なのです。「もう会えないなんて言わないよ。」という帯のキャッチコピーは、家族の心からの叫びでしょう。それに対して、わたは次の言葉を、この家族に贈りたいと思います。

 

 そう、「また会えるから」という言葉を。