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平等社会』

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No.0079

 

 平等社会』リチャード・ウィルキンソン&ケイト・ビケット著、酒井泰介訳(東洋経済新報社)を読みました。

 

 帯には「人は格差社会で満たされるのか?」というキャッチコピーとともに、「健康問題や社会問題の大半は、格差が大きい社会で、より深刻だ。充実した生活は、格差の小さい、より平等な社会から生まれる」と書かれています。もう、この帯だけで本書の内容は言い尽くされているといえるでしょう。

 

 さまざまなデータを駆使して、「格差社会」よりも「平等社会」のほうが人々が幸せになれることを力説しています。一般に「平等」という思想を強く打ち出せば「社会主義」や「共産主義」をつながるのではないかと思われますが、本書にはそこまでのイデオロギー性はなく、幸福な社会を創造するための合理的な方策を求めるといった内容になっています。

 

 本書では、国際社会やアメリカ各州の状態を表すさまざまな社会指標を検証して、所得格差が小さいほど好ましい結果、つまり、より良い社会となっていることを示します。格差が大きい社会は、格差が小さい社会に比べて低所得層のみならず中間層や高所得層でも健康が衰える傾向にあります。

 

 その理由としては、次のような可能性が考えられます。

 社会の「きずな」が薄まることによってストレスが高じ、自律神経やホルモンの働きが慢性的に乱されて免疫機能が低下する。それによって血圧や血糖値が非常に高くなるからではないかというものです。この研究結果は、イギリスの医師会誌に報告されたそうです。なんと、「格差社会」が医学的見地から否定されたわけです!


 人々が幸せに生きれるかどうかは、言うまでもなく、「こころ」の問題に関わっています。

 

 第3章「格差に苦しむのはなぜ?」では、このテーマに迫っています。精神分析学者アルフレッド・アドラーは、「人間であるということは劣等感を覚えること」と語りました。著者は、アドラーは「人間であるということは、見くびられることにとても敏感であること」と言うべきだったと述べていますが、いずれにしろ、人にどう見られているかということが問題なわけです。

 

 「プライド」や「恥辱」といったものは、人間にとってきわめて重要なものなのです。社会的地位の高低が自信にもたらす影響を理解するには、こうした感情への敏感さを理解しなければなりません。それから、「地位」というものも人間にとって重要です。

 

 19世紀のアメリカの哲学者ラルフ・ウォルドー・エマソンは、「誰もが膨大な数の人間が構成する社会における自らの位置をいつも気にしていること、そして常にその推し量り方を学んでいることは明々白々」であると語りました。

 

 実際、ある心理学の調査結果では、人は出会い頭の数秒で互いの社会的地位を判断しているといいます。著者は、次のように述べています。

 

 「一将功なりて万骨枯る不平等な社会では、地位がいっそう重要になる。格差が大きくなると、たいてい地位争いも激しくなるし、地位をめぐる不安もつのる。ただ張り合うだけでなく、氏素性も重視するようになるのである。格差の大きい国の人は、伴侶を選ぶにあたって、愛情よりも、金銭的な見込み、地位や野心などに重点を置くことが複数の調査でわかっている」


 また興味深かったのは、第6章「肉体的健康と平均余命」です。著者によれば、友人がいること、結婚していること、宗教の信者であること、その他の団体に加盟していることなど、社会的ネットワークに関わっているかどうかは、いずれも健康を守る働きがあるといいます。友人が多ければ多いほど風邪を引きにくく、さらに親しい人と良好な関係を保っている人ほど傷が早く治るという実験結果もあるのだとか。

 

 格差社会で虐げられている人々は、自分たちを見下げる人々がいないときのほうがリラックスできることを明かした調査もあります。差別と偏見が人々の幸福にいかに深く関わっているかがわかります。民族的少数派の人々は、いくら貧しくとも同胞に囲まれて暮らすほうが、より豊かでも多数派に囲まれて暮らすときよりも健康状態が良いのです。


 本書は、人々が幸せに暮らすための最大のポイントが2つあることを示しています。それは、「社会的地位」と「友情」です。この2つは明らかな一対をなすものです。根本的に権力と強制にもとづく「社会的地位」の対極にある人間関係こそ「友情」です。

 

 友情とは、互恵性であり、分かち合いであり、社会的義務であり、互いのニーズを認め合うことです。贈り物は友情のしるしであるとされますが、それは贈り手と受け取り手が資源を争わずに、互いのニーズを理解し合って行動している証しだからなのです。

 

 文化人類学者マーシャル・デヴィッド・サーリンズは「贈り物は友人を生み、友人は贈り物をする」という名言を吐いています。著者によれば、食事をともにすることも同じシンボリックな意味を持ちます。

 

 食べ物は、人間が生きていく上で最も根本的に必要なものです。資源が欠乏しているとき、食料をめぐる競争が社会を荒廃させるのも当然でしょう。「社会的地位と友情は非常に重要である」と前置きして、著者は次のように述べます。

 

 「なぜなら、人間でも動物でも動物でも社会組織と政治的生活について、おそらく最も根本的な問題に関わるものだからだ。同じ種であればニーズも同じ。だから、互いに最悪のライバルになりかねず、食料、住みか、生殖相手、快適な居場所、よき巣作りの場所など、ありとあらゆるものを奪い合う可能性がある。その結果、実に多くの種において、争いが最も起きやすいのは、外敵の脅威があるにもかかわらず、同じ種の間である」

 

 17世紀、トマス・ホッブスは自身の政治哲学の基礎に希少資源をめぐる争いの危険をおき、政府の強制力なくしては、世の中は「孤立、貧困、悪意、暴力、欠乏」の巣窟になってしまうと論じました。そして、有名な「万人の万人に対する闘争」という言葉を吐きました。しかし、著者は「おそらくホッブスは、ある重要な側面を見逃していた」として、次のように述べるのです。

 

 「人間は争いごとを起こしかねない一方で、協調、学習、愛情、あらゆる助け合いを生み出せるのだ。ダチョウやカワウソは互いに傷つけ合う以外にさして能がないが、人間は違う。助け合えることに加え、人間の能力の大半は学び取ったものだから、スキルを持ち寄ることができる。同様に、専門家や分業という人間の特質は、人間には協調による比類なき潜在能力が秘められていることを意味している。だから人間は互いに最悪の敵になりかねない一方で、互いに何よりの安心と安全の源にもなれるのである」

 

 なぜ、人間は友情や社会的地位に敏感になったのか。それは、社会的関係の質が常に幸福と深く関わっているからです。また、他者を危険な競争相手か安心をもたらしてくれる味方かを判別する上で重要だったからです。

 

 社会生活のこうした側面がとても重要だったので、友人がいないことや、低い社会的地位などが、現代の豊かな人々の健康を左右するのですね。人に拒まれること、敵視されることは社会的痛みです。逆に、人に何かをしてあげて、それを感謝されたときには充実感を感じます。著者は、次のように述べます。

 

 「友情を基盤に栄え、協調と信頼を生み出せる種として、ヒトの社会が格差、社会的拒絶、偏見などに基づいたものになっていたら、大きな痛みを生じることは言うまでもない。この点を考えると、格差社会がうまく機能しない理由だけではなく、より人間的な社会のほうが、今多くの人々が生きている格差社会よりも、ずっとうまくいくことにも自信が持てるだろう」


 わたしは、人間の幸福とは良い人間関係にあると信じています。

 

 「友情」を元にして「協調」や「信頼」を生む社会とは、まさにハートフル・ソサエティです。「良い人間関係」づくりをめざした冠婚葬祭や隣人祭りが、現代人の幸福につながっていることを本書で再確認できました。