No.0063 心霊・スピリチュアル 『ルポ 現代のスピリチュアリズム』 織田淳太郎著(宝島新書)

2010.05.05

 ルポ 現代のスピリチュアリズム』織田淳太郎著(宝島新書)を読みました。

 著者は、実力派のスポーツノンフィクション作家として活躍していましたが、ある個人的動機から「スピリチュアリズム」の世界にアプローチします。

 タイトルに「スピリチュアリズム」という言葉が入ってはいますが、本書では「スピリチュアリズム」すなわち「心霊主義」については書かれていません。

 スピリチュアルカウンセラーも、「スピコン」などのイベントも、言及されていません。

 著者は、現代のスピリチュアリズムを主に2つに分類します。

 外面的志向としてのスピリチュアリズムと内面的志向としてのスピリチュアリズムです。

 前者は、守護霊や霊的ガイドのメッセージに生きる意義を見出したり、「神」や宇宙人などの存在を信じる生き方です。

 一方、後者は文字通り自己の内面を探求し、それによって自己実現を図ることを目的とした生き方です。つまり、「個」としての精神性を重視した生き方ですね。

 しかしながら著者は、「スピリチュアリズム」よりも、どうやら「精神世界」という言葉に親近感を覚えているようです。わたしも、学生の頃には「精神世界」の本をよく読みました。

 工作舎や平河出版社などとともに、それらの本の版元には「めるくまーる」という出版社がありました。その「めるくまーる」の前社長である和田禎男氏は、昨今の「スピ系」ブームについて、本書の「プロローグ」で次のように述べています。

 「いまの時代、自分の生き方を模索する以前に、経済的にどう生き延びていくかで悩んでいる人々が多い。第二次世界大戦中、ナチスによって強制収容所に入れられた精神科医のビクトール・フランクルは『人は生きている意味を疑うとき、簡単に自殺する』と言っていますが、昨今の自殺者の異常なまでの急増も、経済的なことを含めた、この生きる意味の喪失が招いたものなのでしょう。逆に言うと、今日のスピリチュアルブームの背景にも、生きる意味を必死に求めようとする人々の、心の悲痛な叫びが込められているような気がするんです」

 この和田氏の言葉には、まったく同感です。

 本書には、「精神世界」のスーパースターたちがたくさん登場します。

 たとえば、ギリシャ生まれで、一部で「20世紀における最も偉大な霊的教師」と呼ばれたヒーラーのダスカロス。

 著者は、彼の教えを学ぶ「ダスカロスの会」に入るものの疑問を感じて退会したとか。

 たとえば、一連の『神との対話』シリーズで、死の意味や本質について深い洞察を示したとされるニール・ウォルシュ。

 また、「反逆の仏陀」と呼ばれたバグワン・シュリ・ラジニーシ。 さらには、仏陀やキリストの再臨とされた「インドの哲人」ジッドゥ・クリシュナムルティ。

 彼らの教えは決して平易ではないのですが、著者はわかりやすく解説してくれます。 ただ、かのサイババと同じく、毀誉褒貶の激しいラジニーシを完全なる聖人として描いているくだりには、正直いって違和感がありました。まあ、それは信仰の問題といか個人の自由ですから、別に構わないのですが。 クリシュナムルティにも多くのページが割かれていました。

 クリシュナムルティは、人間解放運動に生涯を捧げた人です。その足跡の偉大さは、禅研究家のロバート・パウエルが「クリシュナムルティが心理の領域で成し遂げたことは、物理学においてアインシュタインが行なった革命に匹敵すると言ってよい」と述べているほどです。クリシュナムルティの父親は「神智学協会」に奉職していました。

 神智学協会とは、「19世紀最大のオカルティスト」と呼ばれたブラヴァツキー夫人が設立した神秘主義思想の団体です。

 19世紀末から20世紀初頭の世界の霊的世界に大きな影響力を持ちました。

 その神智学協会が、クリシュナムルティ少年を「世界教師(救世主)」と認定したことから、彼の人生は波乱万丈なものになります。彼は世界教師となるべく「星の教団」の指導者になりますが、1929年8月に教団の解散を宣言します。彼が34歳のときでしたが、そのとき教団は世界で4万人の規模に膨れ上がっていました。

 解散宣言の前触れとして、クリシュナムルティは次のような「例え話」を口にします。

 あるとき、悪魔と友人の2人が通りを歩いていました。すると、1人の男が地面から何かキラキラ輝く物を拾いました。 男は、拾った物をしばらく見つめてから、うれしそうにポケットに入れました。 友人は「彼は、何を拾ったんだろうね?」と聞きました。 悪魔は「<真理>を拾ったのさ」と答えました。

 「それなら、君は困るんじゃないのか」と心配する友人に対して、悪魔は「いや、いや」と平然と答えてから、こう言いました。

 「少しも困らないよ。ぼくは、それを組織化するのを助けるつもりだからね」と。 なかなか良くできた「例え話」だと思います。

 そういえば、人類史上に2人の「例え話」の天才がいました。ブッダとイエスです。

 彼らは<真理>を求めて生き、<真理>を求めて死にましたが、彼らの後継者たちはその教えを後世に伝えるべく組織を作りました。

 でも、クリシュナムルティが揶揄するようなネガティブな側面ばかりではありません。

 第一、現代でどれだけの数の人がクリシュナムルティの名を知っているでしょうか。また、それだけの人が彼の著書を読み、救われるでしょうか。それは、ほとんど皆無に近いと言ってもよいと思います。

 一方、ブッダやイエスの後継者である仏教やキリスト教の教団は、ホームレスの援護、貧しい人への教育や医療のサポートなど、現実世界へ多大なる貢献をしています。

 結局、クリシュナムルティにしろ、ラジニーシにしろ、ダスカロスやウォルシュにしろ、彼らの言葉を大事にするスピリチュアルな人々にしろ、「本当の自分はどこにいる?」という自分探しのみに終始し、社会と関わりあうという意識が欠けているように思います。

 そういう意味では、同じインド出身の哲人でも、マハトマ・ガンジーやマザー・テレサや、あるいはダライ・ラマ14世のほうが偉大であると、わたしは思います。

 彼らは屁理屈ばかりこねず、抽象的な思考ゲームなどせず、自らの信仰と信念をベースにして現実に困窮する人々を救ってきたからです。

 この問題は、つまるところ、「小乗」と「大乗」の問題につながるかもしれませんね。 あと、わたしがクリシュナムルティという思想家にどうしても疑問を感じるのは、「儀式」についての考え方です。

 1920年、すでに世界各地で3万人以上の会員を持っていた「星の教団」は、パリで大回世界大会を開催しました。 そのとき、挨拶に立ったクリシュナムルティはまず、「儀式は、それがいかに美しくてすばらしいものであっても、必ずやこの活動を硬化させ、行動範囲を狭めるであろう」と述べ、教団内の儀式廃止を宣言したのです。
 儀式は、人間が「個」を超えて宇宙、あるいは神仏といったサムシング・グレートと交流するものです。儀式を否定するなど、まったくもって人間の驕りというしかありません。 その意味でも、彼は精神的指導者には向いていなかったと思います。

 最後に、本書には、かのユリ・ゲラーをはじめ多くの超能力者が登場します。 その中に、「スプーン曲げ」で知られた清田益章さんの名前がありました。

 わたしは、なつかしい気持ちでいっぱいになりました。 彼とはハートピア計画時代に親交があり、スプーンを曲げる瞬間にも立ち会いました。

 わたしは、彼こそは正真正銘の能力者であったと確信しています。 わたしが東京から北九州へ居を移す際、浅草で仲間が開いてくれた送別会にやって来て、曲がったスプーンを餞にくれました。

 彼は、きっと、わたしに「人間の心は何でもできるんだ。だから、おまえも頑張れよ!」と言いたかったのでしょう。 そのとき、わたしは人生の苦境にあったこともあり、涙が出るほど嬉しかったです。 その曲がったスプーンは、今でもわたしの宝物です。

 そういえば、ハートピア計画で「超能力」をテーマにした本を企画し、清田益章さん、秋山眞人さん、わたしの3人で鼎談本を作ったことがありました。 東京都港区高輪の泉岳寺に隣接したオフィスで、3人で大いに語り合いました。 残念ながら、その本は刊行されませんでしたが、なつかしい思い出です。

 清田さんは、子どものように純粋な心の持ち主でした。 そのぶん、彼の心はいつも傷ついていたように思います。 現在はバリ島に移住され、そこで人と自然との融合に取り組んでおられるそうです。

 「祈り」と「踊り」をミックスした「おのり」というものを広めようとしているとか。 かつて硬いスプーンを曲げた彼の精神力があれば、「人と自然との融合」という壮大な理想も実現可能であると思います。

 清田さん、人間の心は何でもできるんだ。だから、頑張ってよ!

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