No.0062 宗教・精神世界 『新宗教マネー』 山田直樹著(宝島新書)

2010.05.05

 新宗教マネー』山田直樹著(宝島新書)を読みました。

 著者は、「週刊文春」の元記者だそうです。

 サブタイトルは「課税されない『巨大賽銭箱』の秘密」となっており、帯には「宗教特権を斬る!」とか「戦後日本最後のタブー」といったコピーが踊っています。

 本書には、創価学会、真如苑、幸福の科学、阿含宗、立正佼成会、天理教、パーフェクトリバティ(PL)教団、世界救世教、世界真光文明教団、崇教真光、神慈秀明会、統一教会などの宗教団体が取り上げられています。

 著者は、宗教団体の潤沢な資金に注目し、宗教法人への非課税に疑義を唱え、「宗教に国の富が蓄積されて、いいのだろうか」と読者に問いかけます。

 著者の考え方は、以下の文章に集約されるかもしれません。

 「宗教という『聖』をまとった『俗』。私たちは、そんな集団・教団・個人に翻弄され続けてきたのではないだろうか。見るからに威厳たっぷりの伝統宗教でも、事務所ひとつを借りただけの、いかがわしさふんぷんの新興宗教であっても、道理は同じだ」

 著者の言葉のように、一般に宗教は伝統宗教と新興宗教といった区分をされます。

 著者は、特に「新興宗教」の代名詞ともいえる「創唱宗教」に対して強い違和感を抱いています。「創唱宗教」とは、特別な一人、またはグループの創唱者によって提唱された宗教のことです。 もちろん仏教もキリスト教もイスラム教も最初は「創唱宗教」でした。創唱者、それぞれブッダであり、イエスであり、ムハンマドです。

 でも、本書の著者は、「創唱宗教」という概念を新宗教に限定しています。

 その理由として、次のように述べています。

 「おそらく葬儀(葬式)と墓地取得以外で、これら伝統宗教の出番はなく、信者のクレームもまたその時の『布施』等=料金に限られるからだ。新宗教は、このような伝統教団のシステムとまったく違う方法論を持つ」

 なるほど。逆にいえば、伝統宗教の出番というのは葬儀や墓地取得などがメインなのですね。もちろん、この場合の伝統宗教というのは仏教をさすのでしょうが。

 ということは、島田裕巳著『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)に代表される一連の葬式無用論は伝統宗教批判につながっているわけです。

 一方で本書のように、新宗教の教団にも批判的な視線が集まっている。

 つまるところ、現代の日本において、伝統宗教も新宗教も同時にバッシングを受けているのです。「宗教」そのものに対する信頼感が揺らいできたのでしょうか。

 本当は、いま、宗教がバッシングなんか受けてる場合ではないのです。 年間に3万人が自殺し、3万2000人が無縁死するという現代日本。 子殺しや親殺しをはじめとした凶悪犯罪も増加する中で、日本人の「こころ」は不安だらけです。こんな「こころ」の非常時こそ、宗教の出番です。 伝統宗教も新宗教も一丸となって、日本人の「こころ」を救わなければなりません。

 わたしは、人間にとって宗教とは生きる上でも、また死ぬ上でも必要なものであると思います。あらゆる宗教の教えは微妙に違っても、そのめざすところは同じ、「人間を幸せにする」という根本は同じという「万教同根」「万教帰一」を信じています。

 だから、どの宗教を選んでも、その人の自由だと思います。しかしながら、自分の信仰を他人に押し付けるのはよろしくない。

 日本国憲法に「信仰の自由」は保障されていますが、本書の著者も述べているように、「信仰(を強要されない)しない自由」というものが同時に尊重されるべきです。

 「では、おまえの信仰とは何か」と問われたら、いつも「神道と仏教と儒教です」と答えていますが、何か? 本書に登場する個別の教団についてのコメントは避けますが、著者が総合百貨店の凋落にかけて創価学会を論じている部分はユニークだなと思いました。

 有楽町西武が閉店し、そごう心斎橋店が大丸へ吸収、三越池袋店は家電量販店にへ・・・といったように、いわゆる百貨店商法の地盤そのものが揺らいでいます。

 マスプロダクトを大量販売する時代が終わりを告げているように見えますが、代わりに成長しているのがユニクロなどの衣料専門店でありヤマダ電機などの家電量販店です。

 ここで著者は、次のように述べます。

 「創価学会が百貨店とすると、幸福の科学や真如苑は、特化した専門店、つまりユニクロや家電量販店としての”伸びしろ”を持っているようにも見える。幸福の科学や真如苑に折伏はなく、信者個々人の宗教心の発露に特化したシステムを築いている。学会は、現実社会で救いのない貧しい人びとに『幸福になれる』と確信させ、組織ポジションを多数こしらえ、会内部にもうひとつの競争社会を作り上げてきた。逆に言えば、その『社会』の中に入ればすべてがかなうといって信者を囲い込んできたともいえる。その閉鎖性が、他宗教への攻撃性とパラレルに同居している。これに対して、真如苑は『霊能』を目指すし、幸福の科学はどこかサークル的な組織だ。両者の方がより現代人へのメンタリティにマッチしていることは間違いない」

 これは「宗教=ビジネス」と確信している著者ならではの考え方かもしれませんが、この一種のマーケティング思考は面白いと思いました。

 わが社のような冠婚葬祭業界においても、いたずらにマスを狙った百貨店商法のような大型結婚式場、大型葬祭会館、さらには巨大互助会を目指すのではなく、より専門的で現代人へのメンタリティにマッチしたビジネスモデルを追求する必要がありそうです。

Archives