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大転換』

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No.0054

 

 『大転換』カール・ポラニー著(東洋経済新報社)を読みました。

 ドラッカーは、本書の著者であるカール・ポラニーと親交がありました。

 ドラッカーがウィーンにいた頃、カール・ポラニーが副編集長を務めていた経済週刊誌「オーストリア・エコノミスト」を愛読していたのです。

 カール・ポラニーとの交際を皮切りに、ドラッカーは天才の家系と言われるほど逸材ぞろいのポラニー一族と深い親交を得ました。

 カールは、『大転換』によって経済人類学の創始者になりました。

 弟のマイケルは、ノーベル化学賞か物理学賞の受賞は確実と言われていたのに、哲学者へと転向し、そこでも成功。 マイケルの息子ジョンは、1968年にノーベル化学賞を受賞しています。

 こんなすごい一族と対等に渡り合ってきたドラッカーもすごいですね! さて、わたしは本書『大転換』の存在は以前より知ってはいましたが、初めて読んだのは昨年の7月です。

 中谷巌氏の『資本主義はなぜ自壊したのか』(集英社インターナショナル)を読み、そこに出てくる『大転換』という本に興味を抱いたのです。 構造改革の急先鋒であった中谷氏の「懺悔の書」である『資本主義はなぜ自壊したのか』は、なかなかの好著でした。

 リーマン・ショック、格差社会、無差別殺人、医療の崩壊、食品偽装などの元凶を「市場原理」に求めた同書で、中谷氏は資本主義の根本的矛盾をついた思想家としてカール・マルクスとともにカール・ポラニーの名をあげました。 そして、その著書『大転換』の中の「資本主義とは個人を孤立化させ、社会を分断させる悪魔の碾き臼である」という言葉を紹介しています。

 どういうことかというと、わたしたちが当たり前だと思っている市場経済あるいは貨幣経済というのは、本来、人類の歴史の中ではごく最近になって登場した新しいシステムだというのです。

 その新しいシステムは、また特異なシステムでもあります。その特異なシステムが、人間が本来持っていた社会的動物としての側面を破壊するものであるというのがポラニーの指摘だというのです。

 わたしは、俄然、『大転換』という本に興味が湧いてきました。 東洋経済新報社から刊行されている翻訳書は絶版で、1冊だけ古書がアマゾンに売られていたので、かなりの高価格で購入しました。
 すると、古書がわたしのもとに届いた当日、「日本経済新聞」の書籍広告で、『大転換』の新訳が出たことを知ったのでした。う~む、ぐやじい~。

 そうやって、やっと入手したのが『[新訳]大転換』(野口建彦・栖原学訳、東洋経済新報社)です。550ページを超える大冊ですが、貪るように一気に1日で読みました。

 冒頭で、フレッド・ブロックが次のように『大転換』を紹介しています。

 「かくも長く読み継がれるのには十分な理由がある。『大転換』は、各国社会およびグローバル・エコノミーは自己調整的市場によって組織できるし、また組織されねばならないという市場自由主義の信条に対して、これまででもっとも強力な批判を提供しているからである。」

 また、ジョセフ・スティグリッツは「序文」で次のように述べています。

 「大部分の社会は、貧困者や恵まれない人々を救済する方法を生み出してきた。しかし、工業化の時代は、個人が完全に自己責任をとることをしだいに困難にした。」

 まさに、「なぜ個人が完全に自己責任をとることが困難になったのか」を追及した本こそ、『大転換』だったのです。
当然ながら、「貧困社会」や「無縁社会」に直面している現代の日本人にも大いに関係のある内容です。

 さて、この大著の内容をダイジェストで紹介するのは困難ですが、その最大のキモは次の部分ではないでしょうか。ポラニーは述べます。

 「決定的に重要な点は、以下のことである。すなわち、労働、土地、貨幣は生産の本源的な要素であって、他の商品と同様にそのための市場が形成されなければならない。実際これらの市場は、経済システムの絶対的に欠くことのできない部分を構成する。しかし、労働、土地、貨幣は、明らかに商品ではない。売買されるものはいかなるものであろうと、販売のために生産されたものでなければならないという公準は、労働、土地、貨幣についてはまったく当てはまらない。換言すれば、商品の経験的な定義からするとこれらは商品ではないのである。」

 なんと、「労働」「土地」「貨幣」の三つのものは商品ではないというのです! 本来これら三つのものは商品として扱われるべきものではありませんでした。 いわば「禁断の商品」を取引することがすべての間違いの始まりだったのです。

 「労働」「土地」「貨幣」そのものの取引こそが「悪魔の碾き臼」であり、市場経済をおかしくした元凶だったのです。 このポラニーの指摘はあまりにも衝撃的かつ的確であると言わざるをえません。

 ドラッカーは、自伝『ドラッカー わが軌跡』(上田惇生訳、ダイヤモンド社)において、ポラニーについて次のように述べています。

 「彼の目指したのは、市場が、唯一の経済システムでもなければ、最も進化した経済システムでもないことを明らかにすることだった。そして、経済発展と個の自由を両立させつつ、経済と社会を調和させる場は、市場以外にあることを示すことだった。」

 ドラッカーは、さらに述べます。

 「まさに社会がよき社会であるには、市場を内包してはならないのだった。市場だけが有効たりうるという領域は、外国貿易、遠距離貿易だけだった。地域共同体とそこにおける人間関係は、市場などというがさつな破壊力から守らなければならなかった。」

 そして、最後に、ドラッカーは『大転換』の核心部分に触れます。

 「もしわれわれが、今後、真に総合的な経済理論を手にするとするならば、それは、経済の社会的構造としてカールが抽出した再分配、相互扶助、市場取引の三構造をその骨格とするものとなるにちがいない。」

 このポラニーが提示した「再分配」「相互扶助」「市場取引」の三構造こそは、現代社会のさまざまな問題を解決する糸口となるでしょう。

 わたしは、ポラニーが『大転換』で示したテーマは、ドラッカーの処女作『経済人の終わり』にも遺作『ネクスト・ソサエティ』にも通じていると思います。良き議論相手であったというドラッカーとポラニーの考え方はよく似ています。

 おそらく、二人とも、その正体が同じであったからだと思います。 経営学者としてのドラッカーも、経済人類学者としてのポラニーも、ともにその正体は「倫理家」であった。そう、わたしは思います。