No.0027 宗教・精神世界 『オウム』 島田裕巳著(トランスビュー)

2010.03.20

 オウム-なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』島田裕巳著(トランスビュー)を読みました。

 あの悪夢のような「地下鉄サリン事件」から、ちょうど15年が経ちました。

 この間、麻原彰晃こと松本智津夫をはじめ、事件に関わった多くの人々の罪が確定してゆきました。当然ながら、あくまでも「宗教」の問題であるはずなのに、問題の焦点が「法律」に移ったことに違和感がありました。

 日本の犯罪史上に残るカルト宗教が生まれた背景のひとつには、既存の宗教のだらしなさがあります。

 あのとき、オウムは確かに一部の人々の宗教的ニーズをつかんだのだと思いますが、そのオウムは自らを仏教と称していました。

 そもそもオウムは仏教ではなかったという見方ができました。 オウムは地獄が実在するとして、地獄に堕ちると信者を脅して金をまきあげ、拉致したり、殺したり、犯罪を命令したりしたわけです。

 本来の仏教において、地獄は存在しません。魂すら存在しません。存在しない魂が存在しない地獄に堕ちると言った時点で、日本の仏教者が「オウムは仏教ではない」と断言するべきでした。ましてやオウムは、ユダヤ・キリスト教的な「ハルマゲドン」まで持ち出していたのです。

 わたしは、日本人の宗教的寛容性を全面的に肯定します。

 しかし、その最大の弱点であり欠点が出たものこそオウム真理教事件でした。仏教に関する著書の多い五木寛之氏は、悪人正機説を唱えた親鸞に「御聖人、麻原彰晃もまた救われるのでしょうか」と問いかけました。核心を衝く問いです。 五木氏は最近、小説『親鸞』(講談社)上下巻を発表してベストセラーになっていますが、くだんの問いは、親鸞が開いた浄土真宗はもちろん、すべての仏教、いや、すべての宗教に関わる人々が真剣に考えるべき問いだと思います。

 さて、地下鉄サリン事件に代表される「オウム真理教事件」を総括する最高のテキストは、島田裕巳著『オウム~なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』(トランスビュー)です。

 著者は日本を代表する宗教学者でありながら、オウム真理教の正体が見抜けずに、同教を擁護する発言を繰り返して、事件以後に激しいバッシングに遭った人物です。

 東京大学を卒業し、日本女子大学の教授となっていた著者は、学者としてエリート人生を歩んでいました。ところが、事件によって日本女子大の教授を辞任はするは、離婚はするはで、まさに人生を踏み外した痛恨の事件だったと思います。

 本書の「序章 オウム事件と私」で島田氏は、「私は、オウムが引き起こした一連の事件の意味を探り、ひいてはオウムとは何か、さらにはなぜ日本の社会にオウムのような集団が出現したのかを明らかにしていきたいと考えている」と述べています。

 しかしながら、それに続いて島田氏は、「私にはその作業を進める上でためらいがあることを告白しなければならない。それは、私にとってひどく気の進まないことでもある。私の人生はオウムとかかわることによって、あるいはオウムについて発言することによって、大きくそのコースを変えることとなったからである。私は勤めていた大学を辞めなければならなかった。そして私には『オウムを擁護した宗教学者』という負のレッテル、『スティグマ』が張りつけられた。そのスティグマは、今もはがれていない。」と述べます。

 本書で、島田氏はきわめて素直に自らの過ちを認め、真摯にポスト・オウムの日本宗教について考えています。その姿勢は誠に潔いものであり、宗教学者としての禊(みそぎ)は済んだのではないかと思います。

 また本書では、「村上春樹のオウム事件」として1章を割かれています。

 後のベストセラー『1Q84』誕生の予感が漂っていますね。

 さらに本文では、「オウム事件は宗教の問題であるとともに、日本的な組織の問題でもある。オウム事件は、日本の組織がかかえている根本的な矛盾を露呈することになった。その点について考察を進めていかないかぎり、現在の日本社会がかかえている問題への展望は開かれていかない。」と書かれています。

 著者は、この事件によって絶望したかというと、そうではありませんでした。 それどころか、「人間が生きるということは常に困難をともなう。自分たちを支えるものを失ってしまうという体験を、これまで人類はくり返してきた。問題は、その危機を直視するか否かにある。危機を直視したとき、たとえかすかな手がかりであろうと、その状況を乗り越えるための道を見出すことができるはずである。人類の歴史が、その可能性を証明している」と述べています。

 たしかに、孤独はつらいでしょう。また、苦しいでしょう。

しかし、著者は本書の最後で、「私たちは長い歴史を経て、さまざまなしがらみから開放され、はじめて孤独を得ることができた。オウムの人間たちは、その教祖を含め、孤独に耐えられなかったのではないか。私たちは、孤独に耐え、その孤独を楽しみながら、自分の頭を使って、これからを考えていかなければならないのである」と締め括ります。

 以上、本書はオウム真理教事件を振り返るのに、じつに最適の一冊ではあります。

 なぜ宗教はテロリズムを生んだのか? なぜエリート学者がカルト宗教に丸め込まれたのか?

 本書を読めば、いろいろな謎が解けてきます。 いずれにせよ、15年前に起こった悲劇を、わたしたちは絶対に忘れてはなりません。

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