No.0022 宗教・精神世界 『世界宗教史』 エリアーデ著(筑摩書房)

2010.03.15

 『世界宗教史』エリアーデ著(筑摩書房)を読みました。
 著者は、ルーマニアが生んだ20世紀最高の宗教学者です。また、幻想文学作家でもあり、その生涯を通じて異界を見つめ続けた人で、膨大な著作を残しましたが、最後のライフワークとして取り組んだのが『世界宗教史』という壮大なプロジェクトでした。

 惜しくも全巻の刊行を待たずにエリアーデは死去し、残りの部分は彼の弟子たちによってまとめられました。

 第1巻の「序文」の冒頭に、エリアーデは次のように書いています。

 「宗教学者にとっては、聖なるもののすべての顕われが重要である。すべての儀礼、すべての神話、すべての信仰あるいは神の図像は聖なるものの経験を反映しており、それゆえに存在・意味・真実の概念を含んでいる。」

 エリアーデの学問のスケールの大きさを感じさせる言葉です。

 経営学者のドラッカーにしろ、人類学者のレヴィ=ストロースにしろ、そして宗教学者のエリアーデにしろ、常に人類的視点というスケールの大きさを持っていたと思います。

 この3人は、わたしが最もリスペクトする20世紀の「知の巨人」たちです。

 第1巻には、オリンポスの神々を信仰した古代ギリシャの宗教が興味深く描かれます。

 第2巻には、共訳者として、『葬式は、要らない』の著者である島田裕巳氏の名も出てきます。この第2巻には「ゴータマ・ブッダからキリスト教の興隆まで」というタイトルがつけられており、世界宗教史の中でも最も面白い時代を扱っています。 ブッダやイエスには、それぞれ数十ページと、かなりの重きが置かれています。

 一方、古代中国の宗教家については、孔子が3ページちょっと、老子が7ページと物足りなさが残ります。

 孔子については以下のような描写がありました。

 「厳密に言えば、孔子は宗教的な指導者ではなかった。彼の思想、とりわけ新儒家の思想は普通、哲学史の分野で研究されている。しかし孔子は、直接、間接に、中国の宗教に根本的な影響を与えた。事実、その道徳的・政治的改革のほんとうの源泉は、宗教的なものである。彼は道や天空神や祖先崇拝といった、伝統的で重要な観念をすこしも否定しなかった。さらに、儀礼や慣習的な行動の宗教的な機能を高く買い、その再評価を行なっている。」

 以上の描写は別に間違いではありませんが、孔子の正体や儒教の本質には触れていないと思います。

 儒教ほど誤解されている宗教はないのではないでしょうか。多くの人は、高級官僚をつくるための教養を与える宗教であるとしか思っていません。中には儒教は道徳であり、宗教ではないという人もいます。

 しかし、儒教くらい宗教らしい宗教はありません。宗教の大きな目的の一つが魂の救済であるとするなら、儒教はそれに大きく関わっているからです。

 中国の世界観では、人の魂(たましい)には「魂(こん)」と「魄(はく)」があるとされます。人が死ぬと、魂(こん)は天に昇り、魄(はく)は地に潜(もぐ)る。そして、子孫が先祖を祀る儀式を行えば、天と地からそれぞれ戻ってきて再生すると考えられています。

 中国人にとって最大の不安は、子孫が途絶えてしまうことです。なぜなら、もし子孫が途絶え、先祖である自分を祀る儀礼を行ってくれないとしたら、わが魂(こん)と魄(はく)は分裂したままさまよい、永遠に再生できないからである。本当の意味で自分は死んでしまうからです。

 ならば、どうすべきか。天下の乱れをなくしてしまえば、そのような事態を未然に防げると考えたのです。人々がみな幸福に暮らしていれば、家が絶えるという不幸な事態も起きないと考えたのである。

 そこで儒教では、政治を重んじた。正しい政治が行われることによって、生者のみならず死者もが救われるというのが儒教の思想でした。儒教が宗教であることの理由はまだあります。

 中国哲学者で、儒教研究の第一人者として知られる加地伸行氏によれば、宗教とは「死ならびに死後の説明者」であるといいます。

 人間にとって究極の謎である死後の説明ができるものは宗教だけです。そして、個人のみならずその民族の考え方や特性に最もマッチした説明ができたとき、その民族において心から支持され、その民族の宗教になるのです。

 中国の場合、漢民族に最もしっくりくる「死ならびに死後の説明」に成功したのが儒教であり、儒教のあとに登場する道教でした。 そのため、儒教や道教は漢民族に支持され、国民宗教としての地位を得たのです。 仏教は漢民族の支持を得られなかったため、中国では確たる地位を得ることができず、ついには国民宗教となることができませんでした。

 この三つの宗教の死生観を見てみると、仏教には「輪廻転生」、道教には「不老長生」、儒教には「招魂再生」というコンセプトがあります。 仏教は生死を超えて「仏」になろうとする。道教は生死を一体化して「仙人」になろうとする。そして、儒教は生きているときには「聖人」や「君子」になろうとし、死後は祖先祭祀によって生の世界に回帰するわけです。

 儒教ほど、葬礼を重んじる宗教はありません。 エリアーデほどの偉大な宗教学者にして、孔子や儒教の本質を見抜けなかったのは意外ですが、やはり彼自身が西洋人であったことが影響しているのでしょう。

 『世界宗教史』を読んで、あらためて日本人の宗教観はユニークであると思いました。 神道・仏教・儒教の三つが合わさって日本人の「こころ」が作られています。 わたしたちは、神道や仏教についてと同じように、儒教についても知る必要があるのではないでしょうか。

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