No.0013 神話・儀礼 『通過儀礼』 アルノルド・ヴァン・ジェネップ著(思索社)

2010.03.07

 本書『通過儀礼』は、1909年にパリで書かれた儀礼研究の古典的名著です。誕生、成人式、結婚、葬式などの通過儀礼は、あらゆる民族に見られます。

 ジェネップは、さまざまな儀式の膨大な資料を基にして、儀礼の本質を「分離」「移行」「合体」の体系的概念に整理しました。そして、儀礼とは「時間と空間を結ぶ人間認識」であると位置づけ、人間のもつ宇宙観を見事に示しています。 葬式については、ジェネップは次のように述べています。

 「一見すると、葬礼の儀式の中で一番大きな位置をしめるのは、常に分離儀礼であって、移行および合体の儀礼はあまり発達していないのではないかと思われるが、事実を探求してみると、場合によってはむしろその反対に、分離儀礼は数も少なく単純であり、移行儀礼は時により一種の独立性を認めざるを得ないほど長く続き、かつ複雑な様相を呈していることがある。そして葬礼のすべての儀礼の中で最も念入りな構成を持ち、最も重要と見なされているのは、死者を死者の世界へと合体させる儀礼である。」

 ちょっと難しいですが、大事な部分ですので我慢してお付き合い下さい。

 ジェネップは、まず移行儀礼としての葬式に注目し、「喪」を実際は生き残った者のための移行期間であるとしています。

 彼らは「喪」の期間に分離儀礼を通して入り、一般社会への再統合の儀礼、つまり「喪明けの儀礼」によってそこから出るというのです。ある場合には、この生き残った者の移行期間は、死者の移行期間に相対しており、前者の終わりが後者のそれ、すなわち死者のあの世の合体に対応することがあるそうです。

 葬式の分離儀礼としての側面は、遺体を家の外に運ぶさまざまな方法、死者の持っていた道具、家、宝物類、富を焼くこと、遺体を洗ったり、油を塗ったり、また一般的に浄化と呼ばれる儀礼、いろいろな種類のタブーなどです。

 その他にも、具体的な分離の方法としては、墓穴、棺、墓地、すのこ、木や石をつみ重ねたものなどの上に遺体を置くことなどがあります。

 葬式の合体儀礼としての側面は、弔いに続く食事と、記念祭での食事です。日本でいえば、通夜ぶるまいや法事・法要に伴う法宴ですね。こうした食事は生き残った者のあいだ、そして時には彼らと死者のあいだの、その環が一つ失われたことによって断ち切られた鎖を、もう一度つなぎなおすことを目的としています。

 このように、もう100年も前の本ではありますが、ジュネップの儀礼論には考えさせられるところが多々ありました。

 さて、いまは3月。卒業式のシーズンですね。 わたしは、いつも思うことがあります。 それは、この世のあらゆるセレモニーとは卒業式ではないかということです。 七五三は乳児や幼児からの卒業式であり、成人式は子どもからの卒業式。 通過儀礼の「通過」とは「卒業」のことなのです。

 そして、結婚式というのも、やはり卒業式だと思います。 結婚披露宴で一番感動を呼び、参列者のあいだに共感を生むもの、それは花嫁による両親への感謝の手紙です。そこには、今まで育ててくれた両親への感謝の言葉とともに、家族から巣立ってゆくことの寂しさ、そして夫となる人とともに新しい家族を築いていくことへの希望と決意が述べられています。

 なぜ、昔から新婦の父親は結婚式で涙を流すのか? それは、結婚式とは、娘が家庭という学校を巣立つ卒業式だからです。 そして、葬式は人生の卒業式です。

 日本人は人が亡くなると「不幸があった」などと言いますが、死なない人間はいません。必ず訪れる「死」が不幸であるなら、どんな素晴らしい生き方をしようが、あらゆる人の人生そのものも不幸で終わります。こんな馬鹿な話はありません! わたしは、日本人のあいだに「葬式は人生の卒業式」という考え方が広まり、「死」が不幸でなくなる日が来ることを強く願っています。

 最後に、結婚式にしろ葬式にしろ、儀礼とは「こころ」の問題です。 儀礼について考えるうえでの最大のキーワードとは、多くの人々の「こころ」を一つにすること、すなわち「共感」かもしれません。

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