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フランケンシュタイン・コンプレックス』

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No.0011

 

 文芸評論家の小野俊太郎氏が書いた『フランケンシュタイン・コンプレックス』(青草書房)という本を読みました。『フランケンシュタイン』『ドラキュラ』『ジーキル博士とハイド氏』『透明人間』などの怪奇小説やSFの古典的名作を通して、「人間は、いつ怪物になるのか」をさぐるという、なかなか興味深い論考でした。

 わたしには『世界の「聖人」「魔人」がよくわかる本』(PHP文庫)や『よくわかる「世界の怪人」事典』(廣済堂文庫)といった監修書がありますが、それらの本で追求したテーマこそ「人間と何か」でした。魔人、怪人、そして怪物・・・・・・。

 「怪物」というと、さまざなイメージが湧いてくると思います。哲学者のニーチェは、『善悪の彼岸』の中で、「怪物とたたかう者は、みずからも怪物とならぬようにこころせよ。なんじが久しく深淵を見入るとき、深淵もまたなんじを見入るのである(竹山道雄訳)」と述べました。

 怪物の一般的イメージは、怖いもの、醜いもの、遠ざけておきたいもの、などでしょう。そうした怪物の代名詞こそ、「フランケンシュタイン」です。 誰でも知っている、その固有名詞は何かを怪物視するときに利用されます。

 たとえば、遺伝子組み換え食品が「フランケン(シュタイン)フード」と呼ばれるように。人間が作り出したおぞましい怪物食品というわけですね。

 この名のもとになった小説は、1818年に20歳をすぎたばかりのメアリー・シェリーが発表したものです。フランス革命とナポレオン戦争によって、ヨーロッパ中の価値観がゆらぐ時代、メアリーは「人間と怪物の境界線をどこに引くのか」という疑問を抱きました。

 著者の小野氏は、この疑問は今でも厄介な問題であるといいます。 地下鉄サリン事件(1995)、酒鬼薔薇聖斗事件(1997)、9・11米国同時多発テロ(2001)、附属池田小事件(2001)、秋葉原無差別殺傷事件(2008)など、最近だけでも、「怪物のしわざ」と名づけたくなるような醜悪な犯罪行為がマスコミ報道をにぎわせてきたからです。こうした凶悪事件の原因には、どのように調べてもうかがい知れない部分が残ります。

 そして、マスコミや識者はそれを「心の闇」といった表現であらわします。心が「ブラックスボックス」に入り込んだわけです。 『フランケンシュタイン』という「怪物小説」の主人公は、じつは怪物ではありません。 北極をめざすイギリス人探検家ロバート・ウォルトンです。彼が書きとめたヴィクター・フランケンシュタインという若き科学者の告白が物語の中心です。

 野心にあふれたヴィクターは「天地の秘密」を学びたいとこころざし、学問をはじめます。彼は大学で化学を学び、解剖学や死体の腐敗の観察を通じて大いなる秘密を手に入れます。そして、それを実践するのです。

 複数の死体を寄せ集めた肉体に電気を通して、新たなる生命創造に挑んだ彼は、ついに怪物を作りだしてしまうのです。怪物は暴走し、最後には生みの親であるヴィクターを殺そうとするのですが、小野氏は次のように書いています。

 「怪物が暴走したのは、材料となった死体がもつ遺伝的性質のせいではない。むしろ、新たな生命を得た怪物が、いやおうなしに生きることになった社会での『人間関係』によってそうした行動をとったのである。『孤児』として誕生した彼に、怪物が体験した社会的関係のネットワークのなかから憎悪が生まれ、殺意を作りだした。しかも、いきなり暴走が生じたわけではない。現実の事件と同じように、小さなズレやいさかいが積み重なって、ヴィクターの家族や関係者を殺す怪物となったのである。」

 なんと、怪物暴走の原因が「人間関係」にあったとは! わたしは、もともと社会における最大の問題は「人間関係」であると思っていました。

 「人間」ではなく、「人間関係」が問題なのです。

 ここまで書いたら、テレビで愛子さまのニュースをやっていました。愛子さまが同級生の男の子に乱暴され、学校に行けなくなってしまわれたというのです。なんと、天皇家をいじめる子が学習院に出現したとは! 多くの意味で驚きですが、いずれにせよ「人間関係」が最大の問題と再認識しました。

 人間を悩ませ、怖れさせるもの。それは怪物ではなく、人間関係なのですね。